7月7日に73歳の生涯を終えたPANTAさんのお別れ会。献花式とライブ一体のライブ葬。6月14日に最後のステージを行った渋谷のライブハウスで行われました。チケットは完売。その前に一般公開された献花式も長蛇の列だったようです。
ステージには楽器がセッテイングされていてその前に献花台が置かれている。ライブが終わってから気づいたのですが、ステージには遺骨も置かれてました。バンド演奏は今のメンバーにオリジナルメンバーのトシが加わった頭脳警察でした。
と言っても本人は歌えないわけで、インストでやるのかなとか代わりの誰かが歌うのかな、どうするんだろうと思ったら本人の映像と一緒でした。以前、同じメンバーでやったライブの彼だけの映像。不思議な臨場感がありました。
今の技術はすごいです。以前、東京ドームで美空ひばりさんのトリビュートライブがあって、彼女の歌っている映像と出演者がシンクロしていたことがありましたけど、もっとライブっぽい。リアルに彼がそこで歌っているようでした。
司会をされていたマネジメントの方が、この2年間の闘病の経過を丁寧に報告されてましたけど、最後の最後まで「歌いたい」という言い続けていた、なくなる直前にも今、鈴木慶一さんと作っているアルバムの詞を書いていたという話もありました。
まさに最後の共作者になった鈴木慶一さんの追悼の辞も感動的でした。それまで適当な英語で曲を書いてていた彼が日本語で歌わないと決心するきっかけになったのが頭脳警察で、それははっぴいえんどを聴く前だった。
でも、当時は「敵」だと思っていた。頭脳警察は政治的な色合いが濃かったし自分たちとは違うと思っていた。でも、ちゃんと話したらすぐに意気投合したという話は説得力がありました。はっぴいえんどと頭脳警察の不仲も割と有名でしたからね。
そういう意味ではPANTAさんは、パブリックイメージと本人との落差があった人でしょうね。彼もその狭間で悩んだ時期があった、というのは彼から何度も聞いてます。妙な言い方ですけど、「過激」が脚光を浴びて「商業性」を持った時代でした。
今では考えられないことが沢山あった時代。彼は最後までその中での「責任」というのかな、自分の「やるべきこと」や「歌うべきこと」を貫き通したんだと思います。「あの時代」を背負う中で「今の時代」と対峙してきた。
先日のNACK5の追悼番組でもご紹介したんですが「変わっているから変わらないと思われる、変わらなかったら化石になるだけだ」という言葉が印象的でした。みんなから「変わらないね」と言われるのは「変わっている」からなんだというんですね。
「あの頃のまま」じゃない。「あの頃のように今の時代と向き合おうとしている」。だから先鋭的であり続けられた。「転がる石には苔がむさない」という言葉を体現したような生涯だったようにも思いました。
渋谷DUO MUSIC EXCHANGEはライブハウスの中では大きい方です。客席にはかなり年配の方が多かったです。杖を突かれた方もいらっしゃいました。でも、僕と同世代の方なんでしょうね。そのことが余計切なさを感じさせました。
同時に、こんな風に元気で音楽を聴いたり語ったり、それについて書いたりできていることの有難さも感じました。頭脳警察の「戦争しか知らない子供たち」「最終指令自爆せよ」は、僕の学生時代の芝居をやっていた親友が詞を書いたものです。
彼とももう30年以上連絡を取れてません。元気なうちに会っておかないとなあ、と思いながら遺影に手を合わせてました。改めてご冥福を祈ります。というわけで曲ですね。頭脳警察「最終指令自爆せよ」を。じゃ、お休みなさい。