昨日でした。一昨日と二日間。ツアー「こんどこそ、君と」の最終日。すごかったです。といって内容的に他の会場と大きく変わったことがあるわけじゃなくて、強いて言えば横浜ならではの曲が歌われていたことくらいでしょうけど。
そういう目に見えて変わったこと、というよりライブ自体のオーラがすごかった。コンサートが進むにつれてやっている側とみている側の気持ちが得体のしれない力を呼び寄せているようなオーラが生まれていく感じでした。
小田さんの中の「最後だから」という気合と見ている人たちの「感謝」とか「尊敬」とか「励まし」とか「歓び」とか「共感」とか、一つのコンサートから生まれる様々な感情が高まってゆくのが感じられました。
そう「高まって」ゆくんですよ。それが演奏に乗り移ってゆく。音のボリュームとか数値的なことは分かりませんが、そういう人為的な操作では起こりえないようなうねりが高みに向かって進んでゆくんです。
それでいて聴いている人の感情を過剰に刺激しない。煽っているという作為性が感じられない。もちろん、小田さんは指をタクトみたいにして客席に歌ってね、というようなアクションはしますけど、煽るという感じじゃない。
全てが自然。淀んているところとか意図的に歪めたり陰影を濃くしたりという演出的な虚飾感が全くない。それが小田さんの声や歌から来ていることは当然あるわけですが、演奏もコーラスも照明の音も全部がそういう統一感でなりたっている。
完成度という言葉がこんなに似合うコンサートはあるだろうか、と思いながら見てました。これは以前も書いたことがあると思いますけど、、教会のように気持ちが洗われるポップコンサートというのは小田さんにしか出来ないでしょうね。
何の曲だったかはメモを見ないと思い出せませんが、客席の3階の縁が白い照明に浮かんでいるのがステンドグラスみたいに思えました。小田さんの声も凛として力強く透明で年齢は全く感じませんでした。
もうすぐ76ですよ。僕も誕生日が9月なんですけど、そういう年齢の声じゃない。人間は「年齢」という「縛り」や「限界」を超えられるんだという、それこそ「言葉に出来ない」「たしかなこと」を見せてもらった気がしました。
横浜線の電車の中で「俺も頑張らないとなあ」と放心しておりました。誰でも出来ることじゃないでしょうけど、客席にいたほぼ全員の方がそういう気にさせられたのではないでしょうか。難しいことや遠回しなことは歌ってませんからね。
実を言うと、このツアーが「見納め」になるかもしれない、と思ったんです。雑誌「ALL AREA」で書かせてもらえませんか、とお願いしたのもそう思ったからだったんですが、とんでもない。まだこの先があるでしょう。
「見納め」などと言ったら失礼に当たります(笑)。みなさん、もう少し先へ行きましょう、って誰に言ってるんだ(笑)。そういう歌詞は「こんど、君に」ですけど、この間かけたのでアンコール実質最後の曲「ダイジョウブ」を。
札幌のコンサートでこの曲で泣いている50代くらいの男性を見ました。色んなことがあったんだろうなあ、と思って見ていたら僕も涙ぐみそうになりました。じゃ、お休みなさい。