FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」7月の特集「続・90年代ノート」、無事完結しました。曲、4週目、「96年・97年」と5週目「98年・99年」を録り終えました。お疲れさまでした、って誰に言ってるんだ(笑)。
暑かったです。37度はありました。朝9時にはもう32度。収録は午後3時からで一番暑い時間。駅までどころかバス停まで歩くのもしんどそうだし止むを得ずタクシー。水筒の一本は喉ドリンクでもう一本は飲料用。そんな二刀流があるか(笑)。
渋谷の駅からスタジオまでは10分くらいある。日傘をさして日陰を探しながら水を飲みながら。着いたら頭がガンガンしてました。でも、収録は楽しかったです。選曲に時間をかけましたからね。5月に「90年代ノート」をやった時とはかなり違いました。
5月の時はどっかで型どおりな印象もありました。やっぱりヒットした曲はいれないと、というバランスも意識してました。7対3くらいの割合でそういう曲が多かったでしょうけど、今回はその逆ですね。「私的」の色の方が濃かったと思います。
手帳が結構出てきましたからね。10年分は見つかりませんでしたけど、7年分はありました。自分が何をやってきたのか、何を見てきたのかを思い出すことが出来ました。中には思い出せないライブやインタビューもあったりしました。
年間200本はライブは見てましたからね。途中まで見てのはしごというのは好きじゃないんです。始まってから行くのもそう。だったら次の機会という方です。一日に何本も取材があって夜はライブ、という日も多かったですし。
こんなに海外に行ってたのか、という驚きもありました。今では考えられないくたいにあちこちに行ってる。僕だけじゃなくて複数のライターの人たちが同行してたりする。音楽業界がいかに潤っていたかを実感させられました。
僕はフリーランスですし、株をやったりもしないんでバブルの恩恵も被害も受けてないと思ってましたけど、恩恵、受けてたんだなと思いました。今、仕事で海外に行くことなんかありませんからね。アーテイストも行かなくなってます。
なぜなら行かなくても作れてしまう。海外のミュージシャンとデータのやりとりで終わる。CDのリリースも減っていて一つの作品にお金を掛けなくなってる。雑誌もなくなってしまってグラビア用の撮影など必要がない。
97年の手帳に「パリ」というのがあったんですよ。これ、何だっけと一瞬思い出せなかったんです。フミヤさんのコンピューター・アートの個展がパリであったんですね。ファンクラブのツアーもそこに向けて組まれてた。
チャーター機でした。セーヌ川の観覧船が二隻貸し切り。ホテルの宴会場で食事会があったりパリのメデイアを集めた記者会見があったり。向こうのメデイアに取り上げられてましたから。パリはあの時だけですね。
パリの喫茶店でフミヤさんと尚之さんのインタビューをしたなあ、とか。ライブや取材の思い出という意味ではかなり多い方でしょうね。そういう意味では楽しい経験をさせて頂いたなと思ってます。黄金の90年代でした。
いい曲も沢山生まれました。劇的なライブもほんとに多かった。ずっと活動し続けた人たちもいれば彗星のように登場して消えてしまった人たちいた。そんな面白い時代だったと思って頂ければという5週間。二度に分けることが出来て良かったです。
というわけで、曲ですね。この曲にするつもりはなかったんですけど、話の行きがかり(笑)。フミヤさん作詞、尚之さん作曲、猿岩石の「白い雲のように」。ネットが普及して旅のロマンも失われてしまったかもしれません。じゃ、お休みなさい。