お別れしてきました。葬儀場に安置された遺体に面会するだけというシンプルなものでしたけどコロナ禍で多かった会うこともままならないという事態は避けられました。関係していたアーテイストのスタッフも来てましたし最後の様子も聞けました。
身につまされたのは2週間くらい前に「左目が見えにくい」と言ってたということでした。それだ、と思ったんです。脳梗塞には前兆がある。でも、その症状は短時間で収まってしまうんで、そのままにしてしまう人が多い。
その後に48時間とか二、三週間後に本物の梗塞が起きるというんです。彼もそうだったんでしょう。病院に行った時は手遅れだった。目の異常を感じた時に病院に行って血液サラサラ薬をもらってればこういうことにはならなかったんだと思います。
まあ、何を言っても後の祭りですけど。覆水盆に返らず。逝ってしまった命は戻らない。とはいうものの、棺の中の遺体を見ながらも「何でだ」というやり切れない思いはぬぐえませんでした。いいやつだっただけに余計でしょうね。
年が離れていたせいもあってそんなに一緒にいる機会が多かったというんでもない。フリーランスはお互いがライバルみたいなところがありますからね。そういう”気持ちいい認めあい”みたいなものがあった気がするんです。
あいつには書けない原稿を書く、みたいな張り合い方というんでしょうか。彼にもあったと思いますし。TM NETWORKを書いた「TMN 最後の嘘(トリック)」は、俺には書けないなと思ったり。続編を書きなよ、とはずいぶん言いましたね。
今は出版社も音楽の本に対してハードルが高くなっていて、彼も「難しいのは知ってるでしょうに」と言い返したりしてましたけど。そういう関係のライターは数えるほどでした。
多くのライターは洋楽出身だったり洋楽系の雑誌で書いていた人が多かったんですけど、彼も僕もそうじゃなかったですからね。そういう親近感もあったんだと思います。そんなこんなをボーっと考えてます。
帰りに喫茶店で明日の「J-POP LEGEND FORUM」の台本を何とか間に合わせて家に帰って食事をしてたんですが、カミさんが「お通夜みたいね」と言ってました。お酒は飲まなかったですけど。言われてもしょうがない気分でした。
今思えば、ですけど、僕は去年の年末に左腕が何か変だなと思った時に、日曜日だったんで救急相談センターに電話したんです。そこで看護師さんと話していて救急車を呼びましょう、ということになった。で、入院検査して何ともなかったわけです。
ただ、そういう状態が予兆ということもあるので、予防のために薬を、ということになってるんですね。彼にすればそこが生死の分かれ道になったしまったということなんでしょう。と思うとやっぱりやりきれない。
お酒は飲まなくても溜息は出ます。涙は出ませんけど。そうか、この歌はそういう歌なのか、と思いながら、この曲を。「酒は涙か溜息か」。こういう曲になるとは思いませんでした。美空ひばりさんで。じゃ、お休みなさい。