オフコースに「The Best Year of My Life」というアルバムがありましたけど、あのタイトルをお借りすれば「The Best Two Days of My Life」という感じでした。5月23,24日、生涯最良の二日間だと思いました。
行く前はかなりびくびくしてたんですよ。朝は早いし、何が待ってるか分からない。後藤さんと一緒とは言え、心細いことこの上ないという状況でした。でも、杞憂でした。こんな風に迎えられるとは思ってなかった、そんな歓待のされようでした。
ついてそのまま新竹市にある台湾清華大学に直行。校内のゲストハウスで一休みしてそこからの強行軍。ライブラリーの様子を見てその後は図書館の担当者からウエブサイトや音楽系学部の教授が講座との連動の説明がありました。
これが感動的だったんです。2020年5月に一か月間予定されていたもののコロナで中止になった「日本若者音楽史展」のために書いた僕の原稿が全部、中国語に訳さされてサイトで見ることが出来るようになっていた。
J-POPというのはどういう音楽で60年代・70年代・80年代・90年代・00年代とどう変わって行ったのか。その時代を代表するアーテイストはどんな人がいてどんなアルバムがあったのか。6月に卒業する学生に向けた「贈る曲」ですね。
中止になってもう日の目を見ることはないんだろうなと思った原稿が二か国語で読める。しかも、ですよ。通訳の若者が「日本語の勉強のためにNACK5・J-POP TALKIN」をpodcastで聞いてくれていたんです。
すごいでしょ。彼はTHE ALFEEのファンだったのですが、ゲストに3人が来たときの放送も聞いてくれてました。こういう報われ方もあるんだ、と思ったら涙が止まらなくなりました。日本であんなに涙が出たことはないです。
その後には副学長からの感謝状の授与や大学の関係者や音楽関係者と1時間半のシンポジウム。次の日も日本の文化庁みたいなセクションかな。そこの部長や著作権協会の訪問、若いクリエーターやアーテイストなど交えた50人のランチ会。
台湾の若い人たちのエネルギーももらいました。全員のスピーチの最後が僕。なぜ寄贈出来たのかを話て最後を「J-POPの面白さがは自由と多様性」と言ってからつい口が滑って「自由と多様性万歳」と言ってしまったんです。
みんながその言葉をシュプレヒコールみたいに口にするという盛り上がり方でありました。音楽は国境を超えるという気分になれました。そう、気分でいいんです。そういう気分になれればそれ以上は求めません。
台湾の新聞社の人にもコメント取材を受けたのですが、何とヤフーニュースに載ってました。写真も、です。是非。でも、疲れました。今日はNACK5」J-POP TALKIN」の藤原さくらさんの完パケ。昨日、フーフー言いながら台本を書きました。
そうだ、誰もマスクしてなかったんです。それは心配でした。昨日、耳鼻咽喉科で喉を調べてもらったり。今日も何ともありませんから、セーフだったんでしょう。というような二日間でした。曲ですね。
シンポジウムの中で現地の歌い手さんが歌ってくれた曲。CHAGE&ASKA「男と女」を。中国語で沢山カバーされていて、現地の曲だと思われてたいたそうです。じゃ、お休みなさい。
音楽評論家の田家秀樹さん、台湾・清華大にCD1.8万枚寄贈 戒厳令下の文化的空白埋める(中央社フォーカス台湾) - Yahoo!ニュース