龍一さんの訃報は、様々な方面からの惜しむ声となって表れてますね。僕は3回くらいしかインタビューしたことがなくて公の場で語れるような資格があるとは思ってないんですが、それでもコメント取材があったりしました。
アカデミー賞やグラミー賞などを総なめにしている”世界のサカモト”という勲章と”反戦平和の音楽家”という社会的影響力。クラシックとポップスの両面からの賞賛という意味でも日本の音楽史上最も惜しまれた人と言えるのではないでしょうか。
これ以上ない名誉と栄光を手にしながらそこに留まっていなかった人。むしろそういう権威的存在になることを自ら拒否していた。世の中や社会状況と積極的に関わろうとしていた。音楽の意味や音楽家のあり方を問い続けていた。
ずっとそうやって生きた人だったんだと思うんですね。都立新宿高校の時にバリケード封鎖された校舎に立てこもってひとりドビッシーを弾いていたというエピソードは有名ですよね。その頃から音楽が時代の中にあった。
芸大の作曲科に行ったことが「教授」という呼び名になっていたわけですが、芸大の気風が肌に合わなかったことは容易に想像できますよね。アカデミズムや権威主義みたいなものに対しての違和感も人一倍だったでしょう。
そういう中で新宿ゴールデン街で友部正人さんと出逢ったことからフォークやロックの世界に入って行った。芸大的な価値観とは全く違う自由さを見たんでしょう。その中で頭角を現したのも物足りなくなったのも必然だったんだと思います。
ポップスやロック系のミュージシャン、アーテイストにはない知識や教養、音楽の応用力や創作力が形式に捕らわれないフォークやロックと出会ったことで開花していった。クラシックや映画音楽にもそこで培われたポピュラリテイが生かされていた。
彼の「energy flow(ウラBTTTB)」はインストでは最初のシングルチャート一位。彼は「何で売れたのか分からない」と言ってたんですよね。彼の中の音楽の物差しとは違っていたにも関わらずヒットしてしまう。
それも彼の自由度の高さであり対応力の広さを物語ってますよね。でも、そこに満足していなかった。目先の成功とは違うところを見続けていた。そのスケールの大きさと普遍的な意味を求める精神性が例を見ないんだと思います。
と書きながら思い出しているのがジョン・レノンなんですよ。音楽のスタイルも違いますけど、何を大切にしていたかということとなくなった後の語られ方に共通することがあるように思うんです。
ジョン・レノンも問題児でしたし政治的には反政府的でした。でもなくなってからは「愛と平和の人」のシンボルのように語られるようになりました。一貫して「非戦」と「脱原発」だった坂本さんも同じような存在になっているように見えます。
小林武史さんと桜井和寿さんが始めた「apbank」も当初は坂本さんが関わってましたし「地雷除去」キャンペーンには佐野元春さんやGLAYのTAKUROさんも名前を連ねてました。音楽を超えた存在感と影響力の持ち主でした。
彼らが「坂本さんと話していて」と口にする時の言葉の端々にあった「敬意」は印象的でした。2006年だったと思いますが彼をインタビューした時に口にしていた「音楽家の責任」という言葉が届いてるんだろうなと思いました。
そう、責任ですよね。メデイアも政治も企業の経営者も「責任」をどこかに置いてきてしまった世の中ですし。そういう真っ当なことを口にする最大の音楽家がいなくなった。ミュージシャンでもアーティストでもなく"音楽家"の良心。一つの指標が消えてしまいました。
坂本さんで思い出す曲。YMOや「戦メリ」はもちろんあるでしょうが、ふっと思い出したのが矢沢さんの「時間よ止まれ」。キーボードは坂本さん。そんな時代があったことを大切にしたい気がしてます。改めて合掌。お休みなさい。