1975年1月発売、タケカワユキヒデさんのファーストアルバム。あれから48年が経ったことになるんですね。雑誌「ALL AREA」で書いている「モンキーマジックとゴダイゴの夢」という連載を書いているところです。
連載が始まって3回目の記事。一回目は序章みたいなものでしたから実質2回目。一回目が「ミッキー吉野と日本のロック」でしたからね。二回目はタケカワさんより。「タケカワユキヒデと英語」というのが主なテーマ。
彼は1952年生れ。「ALL AREA」は同じ号に先日書いた浜田さんのツアーのドキュメントが載るわけですが、彼も1952年生れ。70歳になったばかり。同じ年。今までそういう比較はしたことがなかったんですけど、何かありますよね。
タケカワさんの生い立ちとか音楽体験、そしてプロになってゆく過程。更にデビューアルバムというストーリー。彼の父親はベートーベン研究で知られた音楽評論家。母親は日本のバイオリンの父と呼ばれた家系。名門音楽一家ですね。
そういう家庭に育ってビートルズに出会って英語の歌を作るようになった。アメリカに憧れて留学までしようとした。生粋の英語派。「走り去るロマン」も全編英語。でも、「英語」だったために売れなかったという悲哀も経験しました。
そういう中でアメリカのバーレー音楽大学を卒業して帰国したミッキー吉野さんと出会った。「走り去るロマン」の制作途中から参加。彼はミッキー吉野グループを組んでいたんですが、ソロの二枚目で作り出していた時にゴダイゴになりました。
ゴダイゴの一枚目「新創世記」はタケカワさんのソロとして作り始めたアルバムでした。二人を結びつけたのがジョニー野村さん。フラワートラベリンバンドがカナダに行った時の現地のマネジメントを担当してました。
彼の奥さんが奈良橋陽子さん。「走り去るロマン」の途中から入ってそれ以降のゴダイゴのアルバムを書くようになりました。一枚のアルバムに色んな出会いとストーリーがある。それを書いてます。
ゴダイゴは実績の割にそういう語られ方をしてこなかった。色んな発見があります。たとえば、アルバムを発売後にタケカワさんとミッキー吉野グループでロフトに出てるんですよ。下北ロフトと荻窪ロフト。76年ですね。
下北ロフトが76年2月。荻窪ロフトは76年4月。ロフト25周年で出た「ROCK is ROFT」という本が合ってロフト4店の全スケジュールに載ってました。驚いたのは荻窪ロフトはシュガーベイブの解散コンサートの次の公演だったんです。
シュガーベイブの解散コンサートは見てましたからね。でも、その二日後にタケカワさんがやっていたとは気づかなかった。まさか45年も経ってタケカワさんのことを書くようになるとは思ってもいなかったです。
ミッキー吉野さんがアメリカから帰国してミッキー吉野グループで出たのが74年の郡山ワンステップフェステイバル。そういう意味ではゴダイゴには「日本のロック」の軌跡が刻まれている。それを改めて掘り起こすのがこの連載の役割なんでしょう。
松本零士さんがおなくなりになって「銀河鉄道999」が頻繁に流れてますが、ゴダイゴにもう一度スポットが当たるといいなと思いつつ。明日は取材が二本あるんでお休みですが、待ったなしになってます。
というわけでタケカワユキヒデさん「走り去るロマン」から「HAPPYNESS(ぼくらのしあわせ)」を。ジョン・レノンみたいです。原曲はタケカワさんが17歳の時に書いたもの。詞は奈良橋陽子さん。じゃ、お休みなさい。