広島は諦めました。何とか一日だけでもと思ったんですが、延期した収録があったり病院の検査が入ったりで断念しました。今出れば間に合うと時計と飛行機の時刻表を見比べたり。彼女が日本を離れるのに見送りに行けない男の焦り、みたいな感じかな。
アイスクリームが目の前で溶けているのにどうにも出来なくて見ている、みたいな感じでもあるかな。あー、溶けてく溶けてく、と涙を飲むしかない状況。しょうがないと思う自分とこのまま終わってたまるかと思ってる自分もいる。
広島に行かずに来年3月に出る「ALL AREA」のレポートが成り立つのかと思ったり。編集長に相談もしたんです。自分の体調も書けばベテランアーテイストのツアーのハードルの高さに繋がるのではないか、と言われて何とかなるかなと思ったり。
それで読まれた方に納得して頂けるかどうか。書いて見ないと分かりません。で、延期してしまったFM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」の収録の原稿を書いたりしてました。伊東ゆかりさん、ステージデビュー70周年です。
去年、138曲入りのシングルコレクションが出ました。それを使って何かできないだろうかとメーカーからの提案を受けての特集です。ご本人が5週登場してくれます。彼女のステージデビューは何と6才。1947年生れ。僕の一つ下です。
中学生の時、好きだったんです(笑)。渡辺プロの3人娘の一人。中尾ミエさん、園まりさんですね。拓郎さんが初めてファンレターを書いたのは中尾ミエさんだったことは有名ですけど、僕は伊東ゆかりさんでした(笑)。
カバーポップスという言葉があったんです。弘田三枝子さんや森山加代子さん。アメリカのヒット曲を日本語で歌う。漣健児さんという訳詞家がいました。雑誌「ミュージックライフ」の編集長のペンネームですね。
テレビの「ザ・ヒットパレード」という番組がその最大の情報源だった。洋楽の番組などテレビにはなかったですし。ザ・ピーナッツがレギュラー出演者でした。伊東ゆかりさんとは同じ渡辺プロですね。
日本語のオリジナルもない時代です。今、ガールポップと呼ばれる音楽はここから始まった。もうほとんどの方は鬼籍に入られましたからね。伊東ゆかりさんは江利チエミさん、ピーナッツ、弘田三枝子さんともお付き合いがありました。
生きた伝説ですね。彼女たちの想い出も聞きながら彼女の音楽人生をたどります。題して「自叙伝」です。昨日も今日も、その頃の音楽を聴いてました。広島に行けない落ち込みを中高生の時の愛唱歌で癒していることになりました。どっか切ない。
ということで、明日も飛ばしてしまった原稿です。入院の代償ですね。ということで、曲ですね。伊東ゆかりさん、「大人になりたい」。コニーフランシスのカバー。彼女が歌った時は14才でした。じゃ、お休みなさい。