金曜日に行われました。「ベルウッドレコード50周年コンサート」。日本の新しい音楽を担った才能や名盤を送り出してきたベルウッドレコードの50周年。小室等さんの六文銭を筆頭になつかしい人たちが集まりました。
ベルウッドレコード50周年はFM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」の10月の特集で取り上げました。設立者のプロデユーサー、三浦光紀さんが5週間ゲストで登場してくださいました。彼は最後に挨拶してました。
70年代に新しい流れを作ったインデイーズ系のレコード会社が三つありました。一つは関西フォークの拠点となったURC。アンダーグランド・レコード・クラブの頭文字。フォークソングの発祥のレーベル。日本で最初の大規模インデイーズですね。
色んな人がいましたよ。岡林信康さん、六文銭、五つの赤い風船、はっぴいえんど、高田渡さん、加川良さん、友部正人さん、デイランⅡ、など錚々たる人たちが巣立っていきました。みんな10代の終わりから20代。まだ無名でした。
もう一つがエレックレコード。拓郎さんや泉谷さん、古井戸、ケメといった人たち。拠点が東京でした。放送局とのつながりが強くで深夜放送と連動したり、インデイーズだけどかなりメジャーなスタンスも持ってました。
三つ目がベルウッド。キングレコードの新入社員同然だった三浦さんが小室等さんを通じてフォークソングに傾倒して社内に作った独立レーベル。URCのアーテイストたちを引き受ける形で始まりました。
中心になっていたのが小室さん、はっぴいえんど、高田渡さんでしょうね。大滝詠一さんや細野晴臣さんのソロ、デイランⅡの西岡恭蔵さんとか、加川良さんやあがた森魚さん。はちみちぱい。これもそうそうたる顔ぶれでした。
ベルウッドが他のレーベルと違ったのはサウンドの色を持ってたことでしょうね。はっぴいえんどやはちみつぱいのメンバーが色んな人たちのバックを務めていた。はっぴいどんどの音、というのが他のアーテイストに共通している。
その中心が細野さん。彼がプロデユーサーのアルバムも沢山ある。どれも今聴いても音が古くない。70年代前半にあれだけドラムとベースがしっかりしているのはベルウッドのレコード以外にはなかった。今流行のシテイポップの原型ですね。
そこから始まって50年。あがた森魚さん、伊藤銀次さん、大塚まさじさん、なぎらけんいちさん、いとうたかおさん、鈴木慶一さん、鈴木茂さん、そして小室等さん、六文銭、当時リスナーだった佐野史郎さんという顔ぶれ。
そして、全部のアーテイストのバックのリーダーが高田漣さん。いうまでもなく高田渡さんの息子さん、細野晴晴臣さんの今のバンドのリーダー、まさに継承者。はっぴえいんどは鈴木茂さんが代表。細野さんが出席できなかったのは残念でしたけど、彼がみごとに支えてました。
みんな70才を超えてる。あれだけ年齢の高いオムニバスコンサートはかなり珍しい(笑)。リーダーの鈴木慶一さんと一緒に登場したはちみつぱいの武川雅寛さんは「サンプラ、最後なんですよねえ、ここでよくやりました」と名残惜しそうでした。
サンプラもなくなるけど、僕らもこうやって集まるのはこれが最後、という感慨だったんでしょうね。言葉は悪いですけど冥土の土産コンサートという感じもありました。お互いここまでよく頑張ったねというねぎらいの夜の宴のようでした。
客席でなつかしい顔ぶれに会いましたよ。文化放送時代の「セイ!ヤング」の仕事仲間とかTBSの「パックインミュージック」のデイレクターとか、評論家の富沢一誠さんとかね。終わってから中野駅前の中華料理屋さんで軽く食事しました。
僕はアルコールは控えましたけど、みんな飲んでたなあ(笑)。長いコンサートでしたから遅児時間で閉店まで1時間半くらい。話の盛り上がりもお酒のピッチも早かったです(笑)。でも、人に会わない時間が長かったですからね。楽しかったです。
昔話が楽しい年になったなあと実感、って今更ですけど(笑)。先日、闘病していた45年来の親友が他界したばかり。生きているうちに色んな話をしておかないと。いよいよそういう時期になりましたって、話が逸れたね(笑)。
というわけで、曲ですね。小室等さんの「私は月には行かないだろう」を。領土を持たない自由人のプロテストの歌。じゃ、お休みなさい。