音の「連なり」か「つながり」か、書きながら一瞬迷ったんですが、こういうのは勢いね。「我を忘れる」も本当に「忘れた」わけではないでしょうけど、「引き込まれた」んですね。「心を奪われた」でもいいんですが、ってくどいか。
そう、「音」ですよ。「歌」も含めた「音」。感動的でした。昨日とは違う味わい。どんなアーテイストでもコンサートツアーは生き物でその日だけのもの、一日として同じではなく、その日その日の感動があったりするわけですが、今日は「音」でした。
バンドの音。一人一人のメンバーが出す音。それと浜田さんの声とがマッチした相互作用みたいなもの。その「連なり」や「つながり」に感動しました。もちろん、その日の演奏を一番いい音で出すというエンジニアの松本さんの手腕もあるわけです。
演奏しているミュージシャンにも手ごたえになってるんでしょうね。曲が進むにつれてメンバーの表情が生き生きしてくるのが分かる。お互いを見合わせたりそれぞれのポジションに行ってツーショットで演奏する時の表情がほんとに良かった。それぞれが演奏で会話しているみたいな感じに見える。
音数が多かったりとか大向こうを意識した派手な個人プレイみたいなことじゃなくて無駄のないフレーズを確実に決める。そこにもこれが俺の音だ、と言わんばかりの自信に満ちている。そういう演奏を歌が引き取ってゆく。その呼吸の良さ、まさに連なりですね。
一糸乱れぬ演奏、というのでもないんです。隙間はある。一糸乱れないわけじゃない。コンピューターで合わせたような機械的に合わせるものとは対極。そこに「間」はある。でも「間」があるように聞こえない。
ミュージシャンはよく「タイム感」という言葉を使いますよね。それでしょうね。全員が同じタイム感の中で揺れている。そこには「歌」もあるわけです。浜田さんがドラマー出身といういうことを再認識させられます。「歌」、素晴らしかったです。
当たり前のことですけど、生演奏ですからね。12人いるんですよ。全員がその場で自分の楽器で音を出している。その音が空気を振動させて伝わってくるわけです。その「波動」が同じ「タイム感」の中で進行している。
聞いていて「音」がそれぞれのミュージシャンのいる場所から聞こえてくるような気がしたんです。スピーカーを通してるのに生音のように聞こえる。あるべき場所であるべき音が鳴ってるという感じでしょうか。
しかもクリアな音でした。でも、湿り気も艶も深みも太さもある。妙な言い方ですけど楽器の音、でした。こんなに気持ちよく身を委ねられるバンドサウンドが今あるか、という感動。このバンドは今までと違う領域に差し掛かってます。
と書きながら自分がもどかしいんです。僕はミュージシャンだったことがありませんから、一番肝心なことが書けない、というか理解できてない。それがまた惹かれる要因にもなってゆくわけですが、と一気に書いたらクラクラしてきました(笑)。
もっとうまく書けないとなあ、と思いつつ今日はこれまで。昨日の教訓、終わってからちゃんとタクシー乗り場に並びました。その方が早かったです。明日は飛行機で帰ります。二度と新幹線で福岡には来ません(笑)。
というわけで曲です。曲名は出しませんけどインスツルメンタルで涙が出そうになったのは初めてです。じゃ、お休みなさい。