共同通信から全国の地方紙に配信されている連載「80年代ノート」。そろそろ折り返し点を超えました。今、書いているのは86年。鈴木雅之さんのソロデビュー、松田聖子さんの「瑠璃色の地球」、甲斐バンドの解散とかを書きました。
で、次に何を書こうかなあと思って色々思い出していて浮かんだのが1986オメガトライブ。杉山清貴さん時代のオメガトライブがピリオドを打ってヴォーカルがカルロス・トシキさんで再出発。バンド名に”1986”がつきました。
成功したバンドが一旦幕を閉じてヴォーカルも変わってバンド名を一部変更して存続させるという例は多くない。しかもそれでうまくいった例はもっと少ない。その要因は一重にカルロスの魅力だったと言っていいでしょう。
杉山清貴さん時代のオメガにはさほど惹かれなかったんです。でも、カルロスは違いましたね。ヴォーカルの質が違った。稲垣潤一さんをもっと洋楽っぽくした。ソウルっぽくしたというのかな。独特の小節がありました。
ちょっと鼻にかかったような甘さと憂い。でも明るくて清潔。80年代っぽいリゾート感もある。いきなり売れましたからね。まだ読んでませんけど、「1986オメガトライブ・クリスタルサウンドの秘密」という本も出たようです。
80年代のサウンドの大きな特徴はシンセサイザーのきらきらした音とドラムやベースのエコーだったと思ってるんですが、オメガはまさにそういう音。それにカルロスの夢見がちな声がよく似あってました。
アルバム「Navigater」や「Crystal Night」。「Navigater」は80年代だなあという感じでしたね。どっか初々しさもあったり。で、どっかにあったよなあ、と思って88年に書いた「ふたりのカルロス」という本を読み返してました。
自分の書いた本を読み直すことはそんなに多くないんです。粗が見えるし時々勘違いもあったりして見つけると落ち込みますからね。「ふたりのカルロス」は本気で書いた割には思ったほど売れなかったこともあってそのままになってました。
自分で言うのも気が引けますが、今、読み直してけっこう面白かった。88年に帰れがブラジルに凱旋の里帰りした時に同行取材して書いたものなんですね。本の前半はブラジル時代、後半が日本に来てからの話。ブラジルの話が面白かったですね。
不思議なもんですね。読んでいると取材した時のことが浮かんでくる。なくなったカメラマンの岩岡吾郎さんと一緒だったのですが、岩岡さんのことも沢山書いてあって懐かしかった。まさにルポでした。
カルロスの一家がどういう経緯でブラジルに移民してきたかをかなり詳しく書いてる。移民の息子の青春物語。88年。浜田さんの「陽のあたる場所」が出た翌年ですからね。その移民版を書きたかったんだと思いました。
ただ、当時のカルロスのファンにはピンとこなかったんでしょう。こういう本の宿命みたいなもんでしょうけど。本の前後に写真頁があるんですが、読み物にしたいから写真は入れないでほしいとか言って気まずくなったことも思い出しました。
タレント本にしたくなかったんでしょうね。でしょうね、じゃなくてしたくなかったんです。そういう扱いをされたくなかった。それは今も変わりませんけど。もし、何かこだわってきたものがあるとしたらそれですね。
まあ、若かった、生意気でした。カルロスは何年か前にコンサートをやって、10月にも来日するんだそうですが、もう会うこともないのかもしれませんね。というわけで、1986オメガトライブ「君は1000%」を。じゃ、お休みなさい。