すごかったですねえ、と簡単に書いてはいけないような、そんな言葉では到底表しきれないようなライブ。桜井さんのMCにも「全身全霊で」という言葉が使われてましたけど、まさにそういう時間でした。
東京ドームのライブの時に史上最高の東京ドーム公演と思ったと書きましたけど、昨日もそういう感じ。どんなアーテイストでもスタジアム公演は自分たちの最高のライブを見せてくれますけど、そういう次元では語れないライブと言っていいでしょう。
何がすごかったかと言うと、”バンド”ですね。”歌”も含んだバンドの”音と演奏”。スタジアム仕様になってない。バンドの一番骨格になっている音。あのメンバーだけで出している音に徹していた。その熱量に圧倒されました。
熱量ね、これも安易な表現だなあ、と思いつつですね。ボルテージ、エネルギー、テンション、パッション、パワー、エモーション。知ってる英語を全部使ってますけど(笑)。それをバンドが楽しんでいる充実感に溢れている。
東京ドームは屋根がありますからね。屋根があることで生まれる濃密な一体感がドームの魅力でもあるわけです。歌や演奏を照明とか映像が増幅することでそのスケール感と濃度が増して行って今にも破裂しそうな空間になる。
当たり前ですけど、スタジアムは屋根がないわけでステージの”熱”が凝縮のされようがない。どこまでも広がってゆく。その途方のない広がりに負けないように大規模な演出や仕掛けが登場するわけですが、そういうライブじゃなかった。
どこまでも広がってゆけ、空に届け、みたいな限りのない解放感をバンドが味わっている。これも桜井さんのMCにありましたけど、こういう瞬間を待っていた、こういう時間を夢見ていた。こういうフィナーレを描いていた。
限りない至福の時間をかみしめている。そのために声が出なくなろうが、それがどうしたんだ、と言わんばかり。桜井さんにマイクを向けられた中川さんの嬉しそうなシャウトとかそれを見ている田原さんの笑顔とか、ビートが憑依したような鈴木さんの気迫とか。
彼らの30年は、自分たちの”バンドの音”を探す旅でもあったんだろうな、と改めて思いました。セッションはキーボードとコーラスのサニーさんだけですからね。スタジアムだからとスペシャルな編成になったりしない。
セットの全面スクリーンも巨大だし、特効もキャノン砲もありますけど、特にスタジアム仕様という大げささがない。そういう演出もバンド以上には絶対にならない。すべてに”バンド”が優先している。彼ら史上最高の”バンドの音”だったでしょう。
そして、何と言っても桜井さんの”歌”。昨日は二日目ですよ。これを二日間続けたんだということ自体が信じられないくらいに壮絶にドラマテイックで、それでいて丁寧に語り掛けるような歌。自分の歌の届き方が見えているかのような距離感の近さ。
スタジアムでありながら限りなく近しい。と、ここまで書いてきて思いました。そういうスタジアムになったのは客席からの「歓声」がなかったからでもあるでしょうね。コロナ禍だから実現したスタジアムライブだったんでしょう。
今ごろ気づいた(笑)。史上最高、見たことのないスタジアムライブを思わせくれた要因はそこにもあったんじゃないでしょうか。5万人の拍手の”生音”にも感動したんだね。雨も降りませんでしたし。暑くはありましたが、25周年の日産スタジアムほどじゃなかった感じでした。
「タガタメ」から「Documentary film」の流れとか、感動的な場面はいくつもありましたけど、取材じゃないんでメモとか取ってませんでしたからね。見入ってしまいました(笑)。バンドのマグマが爆発するように思えた「World’s end」を。じゃ、お休みなさい。