まだタイトルも決まってないみたいですけど、そういう連載が始まるんですよ。雑誌はシンコーミュージックの「ALL AREA」。先日、中島みゆきさんの「ラストツアー同行レポート」の後編を入れたばかり。
一つの雑誌が一人の書き手にそんなに長い原稿を何本も書かせてくれることは普通はないわけで、あんなに長い原稿ではなくて、連載が始まります、という予告のような序章ですね。さっき原稿を入れたんで、始まったという感じはありますね。
実を言うとゴダイゴのことを書くのはこれが初めて。何でそうなっているかというのは、2月にFM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」でミッキー吉野さんの特集をした時に少し書いた気もするんですが、色々発見したわけです。
発見は変かな。再認識か。認識の変化、ですね。ゲストに来てくれたミッキーさんと色々話す中で、え、そういうバンドだったんだと思うことがいくつもあったんです。当時持っていたイメージとかなり違ったんですね。
そう思った時に、彼らはちゃんと評価されてないのではないか、という気がしてきたんです。僕だけでファンの人たちはそんな風に思ってなかったのかもしれませんけど、テレビで人気になったお茶の間のバンド、みたいなイメージですね。
何でそう思うようになったのかは、前にも書いたかもしれませんが、ゴダイゴには70年代のロックファンやミュージシャンにあった「英語派の夢」が脈々と流れてると思ったんですね。「ロックは英語じゃなきゃ」という時代の夢、というのかな。
「英語日本語論争」という議論が一時あったわけです。最初のそういう議論は僕が編集していた「新宿プレイマップ」というタウン誌で展開されて、その座談会の原稿をまとめたのは23歳の僕でした。
座談会に同席していたのは編集長なんですが、原稿をまとめたんですね。内田裕也さん、大滝詠一さん、鈴木ヒロミツさん、相倉久人さん、中山久民さんですね。その時は「英語派」の方が元気だったんです。
でも、その後、「日本語派」が主流になって「英語派」の人たちは苦難の時代を迎えて行った。ゴダイゴに関わっていた人たちはそちらの人たちが殆どだったわけです。GSも「英語派」でしたからね。
で、日本のロックは「日本語派」の歴史みたいになっていった。でも、「英語派」の人たちもいた。その人たちの「夢の結晶」がゴダイゴだったんではないか。その「夢の軌跡」をたどりたいな、と思うようになったんですね。
僕は両方見ていた時期があるにも関わらず、いつの間にか「日本語派」一辺倒になってしまった。やるべきことをやってなかったかなあ、みたいなこともあってですね。何か出来ることがあるかもしれないな、と思いつつですね。
5月12日にブルーノート東京で2年前になくなった浅野孝己さんの追悼ライブがあったんですね。その時にコメントをもらったベースのステイーブ・フォックスさんが「ゴダイゴはちゃんと評価されてない」とも言ってましたし。
まだどんな連載になるかは見えてませんが、「ALL AREA」は季刊ですからね。じっくり取材しながら書いて行けそうな気がしてます。とりあえず序章。発売は6月の末だと思います。船出しました。
というわけで、今日も肌寒かった。例年より8日早い梅雨入りだそうです。明日はFM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」の小田さん特集二週目の収録。先週からずっとアロハなんですが、明日は長袖にコートですね。
曲ですね。ゴダイゴを始めて知った曲「イエロー・センターライン」。映画「青春の殺人者」の挿入歌。映画を見ていて、かっこいい曲だな、誰、これ、と思った曲ですね。でも、「僕のサラダガール」で退いてしまった。そんな始まりでした。じゃ、お休みなさい。