昨日が命日。30周忌。ネットにも色んな尾崎さん話が流れてます。奥様とか息子さんの話もありました。一番近しい肉親が割とフラットな感覚でメデイアに登場する。そういう時代になったんですね。
30年前。この間最後のツアーがテレビで流れてましたけど、ステージを見たことのない人が圧倒的。当時、客席にいた方たちのお子さんが今二十歳前後ということなんでしょうね。世代を超えて聴かれ始めてる。
音楽は時代を超える。かなりスキャンダラスな扱いもされた時期もありましたけど、そういう諸々のことを超えて音楽が再評価されている。もし、本人がこういう状況を知ったら報われたと思うのではないでしょうか。
共同通信の「80年代ノート」が「85年」に来てるんですね。その最初の回を85年1月12日の尾崎さんの日本青年館のことを書いたんです。初めて尾崎さんを見たのがその時。それまでに何度か機会があったんですが、うまくタイミングが合わなかった。
ようやく見に行けたのが青年館。その時に漠然と「彼はそんなに長く生きられないのではないだろうか」と思った、という話ですね。何の根拠もないんですけど、ステージを見ていてそう思ったんです。
このことは前にも書いた気がしますけど、「コンサート」という先入観を完全にぶち壊してしまう体当たりのパフォーマンスだった。自分の内面を傷つけて、その血をステージに塗りたくってるように見えたんですね。
何だこれは、俺は何を見てるんだ、という呆然とするような、見たことのないパフォーマンスだった。アルバムチャート一位の「回帰線」が出る前ですからね。まだそんなに知名度もなかった。カリスマになる前です。
客席から「バーカ、ずっとやってろ」という野次が飛んだりしてた。その言葉に尾崎さんがふっと優しい表情になった。仕事場に「月刊カドカワ」の尾崎さん特集が何冊かあって、そこで「バーカ」発言についてのインタビューもありました。
「バーカ」と言ったやつの寂しさが分かる、みたいな発言でした。あれは彼の優しさだったんだろうな、と改めて思ったりしました。今、青年館のライブ映像が出てるということも今頃知りました。
デビューの新宿ルイードも映像になってるんですね。彼のライブで残ってるものはないんじゃないでしょうか。全てが公になっている。「みんなのもの」、音楽ファンの「共有財産」。語り継がれるということはそういうことなんだろうと思います。
意識不明で発見された知らせは取材で行った永井真理子さんの事務所で知りました。そのまま意識は戻らなかった。土曜日でしたけど「パチパチ」の編集部に電話したら編集長の吾郷さんがいた。「追悼しませんか」とかなり飲みました。
30年前ですからね。時代も変わって次の世代に受け継がれている。もう僕らのやることはなさそうです。彼の音楽の中の自問自答は普遍的という証明でしょう。というわけで、尾崎さん。何でしょうねえ。
最後のアルバム「放熱への証し」から「闇の告白」。こういう銃声とウクライナの銃声とは天と地の違いがあります。斉藤和義さんのカバーが素晴らしいです。じゃ、お休みなさい。