中野サンプラザで行われたスターダスト・レビューの40周年ツアー「年中模索」。サンプラでの公演は通算40回目だったそうです。40周年の40回目。しかも去年ツアーが始まってから95公演目。いくつも区切りの数字が重なりました。
3月に府中の森芸術劇場で見てから一か月あまり。やっぱり少し変わってましたね。彼らのコンサートはかならず日替わりというか、その日だけの選曲というのがあるわけでどれも同じではないのですが、そういう変わり方だけじゃない。
台詞の呼吸とか間とか、メンバーの表情とか。演奏や歌も含んだ全体の空気みたいなものが変わる。こういう変化は、通常のコンサートでは感じないでしょう。「物語」仕立てになってるからですね。その面白さは再認識しました。
なぜなら普通は「台詞」という要素はありません。ほとんどのコンサートは歌と演奏で成り立っていて、いわゆるMC、合間の話というのは世間話とか近況とかメンバーとのやりとりでそれは即興なわけです。
他の日と比較するとしたら話題が変わっていた、ということでしかない。スタレビの「年中模索」は「物語」ですからね。「演劇」と同じような要素をたくさん含んでいる。そういう変化は「歌」よりも「台詞」の方が感じやすい。
「歌」は「演奏」と一体になっているわけで、変わっているにしてももっと全体的。つまりなかなか「アドリブ」みたいな要素は入りにくい。「台詞」は違いますね。予定にない言葉が入ったり言い回しが変わったりする。
以前よりもっとこなれてる感じがしたのは、回数を重ねたこと以外にないでしょう。自分たちがそういう「演技」を心底面白がれている。府中のコンサートが終わって楽屋で挨拶した時に、根本さんは初めはどっかぎこちなかったと言ってました。
それはそうでしょう。だってバンドなんですから。劇団じゃない。でも、やってることは音楽劇。本人は「学芸会」と言ってましたけど、それは謙遜。ここまで「物語」と合体したコンサートは思い当たりません。ミュージカルじゃないんです。
年のせいもあって細かいところは一回だけじゃ頭に入らない。あ、こうだったと思い出すところも随所にある。そのつどよくできてるなあと感心させられておりました。芸が細かい。一曲目と最後の曲の「流れ星」の扱いは洒落てました。
後10本も残ってないんですよね。東京はこれで終わりかな。コロナ禍で客席と一体になれない悪条件を逆手にとった「フィクション」の面白さ。このツアーが語り草になるといいのにな、と思いながら拍手をしてました。
昔、深夜放送まつりというイベントがあったんですよ。「セイ!ヤング」「オールナイトニッポン」「パック・イン・ミュージック」が一堂に介したイベント。そういう時にパーソナリテイが出演する演じ物があったのを思い出しました。
あの時、こんな空気感だったな、と思ったら会場に元ニッポン放送の斉藤アンコーさんがお見えになってました。お元気そうで嬉しかったです。彼もこのコンサートの良さを誰よりも分かる一人じゃないでしょうか。
というわけで、スタレビ「今夜だけきっと」。どんな風に演出されているか。機会があれば。じゃ、お休みなさい。