なくなったのは92年4月25日。今年は30周忌ということになりますね。「女性セブン」が、改めて彼の歌がなぜ歌い継がれるのか、意見を聴きたいということでリモートの取材を受けてました。そういう形で尾崎さんのことを話すのは久しぶりでした。
BAY FMで番組をやっていた時は毎年特集をやってたんですが、そういう場所がなくなると思い出すことも少なくなってゆきますね。それはもう仕方ないんでしょう。そういうい意味ではいい機会になりました。
実を言うと「女性セブン」には拓郎さんのことで苦い思いもさせられてますからね。小さな記事なんでということだったのに蓋を開けたら、何頁も長い記事だった。全く話が違っていた。騙されたと思ったことがありました。
その後は距離を置いていたんですが、尾崎さんのことはもう知っている人の方が少なくなってるわけで、どんな形であれ伝えたいと思ってくれる人には協力したいなとと思ったりもするんでお受けしました。
なぜ彼を特集したいと思ってるかをきちんと話をしてくれる女性でしたし、尾崎さんの追悼式を見てジャーナリストになりたいと思ったという女性だったんで、自分なりの意見や分析も持っている。楽しい取材になりました。
ただ、週刊誌はデスクという厄介な存在がいますからね。デスクの意向でいくらでも内容が変わってしまう。今日の話もそうならないとは限らないわけですが、そういう話をすること自体が楽しかったんで、それはその時のこと、という感じです。
人と話をすることで色々思い出す。どんな時に尾崎さんと会ったのかとか、あのライブの時にどうだったとか。なくなった時に思ったこととか。彼の存在が僕にとってどういうものだったのか、とかね。
80年代前半、音楽シーンが激変する中で尾崎さんが出てきた。彼がステージで「教室でジャクソン・ブラウンやブルース・スプリングステイーンや浜田省吾や佐野元春を聴いてたんだ!」と叫ぶのを聴いてまだやることがある、と思えたこととか。
音楽は「繋がってゆくんだ」という実感を持ったのは彼が出てきたからでしょうね。世代がつながった。音楽が一過性じゃないことを教えてくれた。その尾崎さんを聴いていたのがGLAYのTAKUROさんだったりしたわけですから。
僕の80年代は尾崎さんがあって始まった、と言っていいでしょうね。美里さんやあゆみさんもそういう流れにありましたし。田家さんにとって尾崎さんは、どういう存在だったんですか、と聞かれて再認識しました。
なぜ彼が今も若い人に聞かれているのか。最大の要因は「優しさ」だと思うんですね。永遠の自問自答と優しさ。「はじまりさえ歌えない」若者は増え続けているわけですし、ますます「僕が僕であるために勝ち続けなきゃいけない」。
それもどんどん過酷になっている。みんな傷つかないように必死になって結果的に孤立してしまって、自分だけ更に傷ついてしまう。「15の夜」や「卒業」のような外的な行動の歌とは違う、内面的な歌が支持されているんじゃないでしょうか。
というような話をしておりました。コロナ禍と戦争。こんな時代の尾崎豊。新しい発見がありそうです。というわけで、曲ですね。尾崎さん、「坂の下に見えたあの街に」を。時代を超えた優しさの歌だと思います。じゃ、お休みなさい。