昨日のミッキー吉野さんのゲストトーク、中身、濃かったです。たぶん、今まで話したてないこともあったんじゃないでしょうか。今回のアルバム「Keep on Kickin’ It」のジャケットをお書きになった奥様もスタジオでそんな話をされてました。
以前、「ゴダイゴとフラワー・トラベリン・バンド」というタイトルで書いた時にも触れたんですが、これまで語られていたゴダイゴのイメージというのはかなり皮相なものだった。もっと根深いテーマを内包していたのではないか、ということですね。
それはバンドだけではなくて当時の日本とアメリカとの間に会ったカルチャーギャップみたいなことが原因だったんではないか。当時、彼らがやろうとしたことを日本のメデイアが受け止め切れなかったのではないか。
それを端的に感じさせたのが、ゴダイゴにドラムのトミースナイダーさんが加わった時の話でした。去年の6月に出た「ゴダイゴ45周年公式ブック」の年表に二人がトミーさんに会いにマサチューセッツ州のコミューンに会いに行った、とあったんです。
”コミューン”という言葉に引っかかったんですね。70年代のロックやニューシネマと呼ばれる映画にはヒッピーのコミューンと呼ばれる集落が出てきたりするんですが、イメージとしては手作りのテント集団、みたいな感じでした。
そこにわざわざ会いに行ったんだ、と思って「どんなところだったんですか」と聞いたら、「自家用ジェットを持ってるんだよね」という答えがいきなり返ってきたんです。「え、自家用ジェット?」ですよ。びっくりでした。
そしたら「弁護士もいて銀行もある」。完全にイメージが違ってました。独立した街のような場所だった。アップルの創業者、ステイーブ・ジョブスさんがサンフランシスコのヒッピーだったという話を思い出したんです。彼もそういう中にいたんでしょうね。だからコンピューター開発に手を染められたんでしょう。
日本で想像しているヒッピーカルチャーというのはあまりに一面的だったのではないか。ちゃんと弁護士もいて飛行機も持っている集団だった。フラワームーブメントというのはもっと大人の運動だったんではないか。ゴダイゴはそういう流れの中にあるのかもしれない、と思ったんですね。
70年代の日本の音楽ファン、ミュージシャンの中にあった「アメリカ幻想」みたいなもの。その奥にある「地球主義」みたいな広い視野から生まれたバンド。でも、それがテレビのワイドショーみたいな枠の中で矮小化されて消費されてしまった。
妙な言い方ですけど、どっかに「子供向け」みたいなイメージがあったのはそういうことなのかもしれないな、とか。もともと大人のバンドだったのではないかと思ったんですね。アメリカのヒッピーがそういう人たちだったように、です。
そんなこと教えてくれる人、いなかったですからね。ヒッピーのコミューンなんて誰も行ったことがないでしょう。その話を聞けただけでも良かったと思いました。そういう意味ではゴダイゴは全く語られてないのかもしれません。語りようがなかったとも言えそうです。
FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」。4週間、面白い旅をした感じです。というわけで、ゴダイゴで「ビューテイフルネーム」を。「モーレツからビューテイフルへ」という言葉もありましたけど、”ビューテイフル”というのもヒッピー発の言葉でしたからね。
ゴダイゴに中国・天津でのライブを収めた「ライブ后醍醐」というアルバムがあって、その中ではこの曲を中国語でお客さんと合唱してました。北京五輪で流れた「イマジン」みたいな不気味さはなかったです。じゃ、お休みなさい。