ツアーファイナル二日目、無事終了でした。昨日の不始末はありましたが、ライブは見ることが出来ました。お手数おかけしました。ありがとうございました。今まで見たことのないGLAYのライブでした。
何しろ歓声がありませんからね。初めて見てから25年以上経ってるわけですが、そういうライブ自体は彼らも経験がないでしょう。全てが拍手に集約される。ライブの熱気という、プラスアルファ的な要素がない。
アルバム「FREEDOM ONLY」は、そういう状態を想定して作ったアルバムだと去年のインタビューの時にTAKUROさんが言ってました。盛り上がるためのアルバムじゃないという前提ですから、今までと違うライブになるのも当然なわけです。
一言で言ってしまえばとっても新鮮でした。改めて再認識したことがいっぱいありました。例えばTERUさんの歌ですね。こんなに明瞭な太い輪郭があって、それでいて繊細で切ない、感情表現の豊かなヴォーカリストなんだ、とかね。
歌に集中していた。歌うことに全神経を使っていた。もちろん、今までそうじゃなかったということじゃありませんよ。客席の盛り上がりをそんなに意識しないで良かったということの現れのように思えたんです。
客席の煽り方のうまさとは定評のある人ですし、彼の動きにしろコール&レスポンスにしろ、客席に喜んでもらうことが全てなんでしょうし。そのことが叶わない状況をどう乗り切るか。その答えが今日の「歌」だったんだと思いました。
声も出てましたからね。「FREEDOM ONLY」が、今までのアルバムの中でも「声」に気を使ったと思えたアルバムだったこともあるんでしょうね。発声なのか歌い方なのかは分かりませんけど、明らかに今までにない「歌」に聞こえました。
大人、な感じもしたんですね。落ち着きというんでしょうか。客席の盛り上がりに同化してゆくハイテンションさよりも丁寧に気持ちを伝えようとする懐の深さみたいなもの。彼の中でも手ごたえの大きいライブだったんじゃないでしょうか。
今までにない一番の違いは、スクリーンに全曲の歌詞が出ていたことですね。あんなに歌詞を読みながら見たGLAYのライブは間違いなく初めてでしょう。客席の歓声に左右されない。そういう歌と演奏だったこともありますね。
CDを聴くときはそうやって聴くわけですけど、ライブですからね。生音の圧の中で体験しながら歌詞を見ている。CDを聴いている時とは全く違いました。改めてこういう歌だったんだ、こういうことを歌っていたんだと思いながら聴いてました。
で、演奏ですよ。隙がなくて、でも揺れていて心地よく完成されている。それぞれのメンバーの一音一音が聞こえてくる。TAKUROさんとHISASHIさんのコード感やフレーズの響き。TAKUROさんの細やかささやしなやかさはソロの収穫でしょう。
JIROさんの指引きの柔らかな自己主張とTOSHIさんのドラムの息の合ったグルーブとか。中盤に並んでいた「Bad Apple」「Tiny Soldier」「Holy Knight」の神秘的な吸引力のエキゾチズムとかも新境地じゃないでしょうか。
激しく動き回るパフォーマンスに視線がくぎ付けになる、というライブじゃなかったからこそ。「More than Love」や「SHUTTER SPEEDSのテーマ」や「彼女のModern」を歌詞を見ながら聴いたりしませんよね。それも新鮮でした。
このツアーが今後、どういう形で残ってゆくのか分かりませんけど、お客さんにとっても忘れられない夜になったんじゃないでしょうか。会場を出て表のイルミネーションを見てじわっと目頭が熱くなった。それも初めての経験でした。
というわけで、無事に終わって何よりでした。アンコールの最後がこの曲で終わるとは思いませんでした。CDよりも万感の思いのこもった曲に聞こえました。アルバム「FREEDOM ONLY」から「FRIED GREEN TOMATOES」を。じゃ、お休みなさい。お疲れさまでした。