という本が出たんです。双葉社刊。「週刊現代」から書評の依頼がありました。昨日と今日で速読。さっき原稿を入れました。週刊誌の書評ですから800字くらい。短いですけど、中身は濃いですよ(笑)。
「週刊現代」は、時々声がかかります。たいていは「熱闘スタジアム」という欄である曲を取り上げて関係者が話す鼎談企画。書評を頼まれたのは初めてですね。担当の方が、以前、ここに「ウエストサイド物語」のことを書いたのを覚えていてくれました。
忘れられない青春の映画、みたいなことの中で「ウエストサイド物語」のことを書いてたんですね。書いたことは覚えていてもいつだったかは全く覚えてない。こういうこともあるんだな、と思って嬉しかったです。
もともとニューヨークのブロードウエイの大ヒットミュージカル。初演が1957年。1961年に映画化されてアカデミー賞10部門受賞。日本でも爆発的にヒットしました。今のミュージカル関係者であの映画に影響されてない人はいないでしょうね。
舞台はマンハッタン68丁目。プエルトリコ移民の「シャーク団」と白人の「ジェット団」の抗争の物語。対立しあう組織のリーダーとその妹が禁じられた恋に落ちるという「ロミオとジュリエット」のような悲恋物語ですね。
映画のオープニングがマンハッタンの空撮。映画史に残る始まり。アスファルトを舞台に走り回り乱舞する若者たち。それまでのミュージカルの常識を一掃したようなスピード感。衝撃的な作品でした。
コットンパンツとバスケットシューズという恰好が何ともかっこよかった。コンバースというブランドを知ったのはあの映画だった。映画の中に「クール」という曲を踊るシーンがあるんですけど、僕は廊下で真似をする中学生でした。
その頃、テレビではアメリカのドラマが全盛でしたからね。人気だった「うちのママは世界一」とか「パパ大好き」とか、中流以上の家庭のホームドラマとは全く違う青春。これがニューヨークか、と直撃された感じでした。
ジョージ・チャキリスは「シャーク団」のリーダー。映画の前に舞台でも主演していたミスター「ウエストサイド物語」。彼の自伝ですね。自伝にありがちな、生い立ちや家族、無名時代の喜怒哀楽、成功してからの人気ぶり。語り下ろしです。
当然のことながら本の半分は「ウエストサイド物語」。それも当事者でしか語れないことばかり。当初は、誰もヒットするとは思ってなかったとか、俳優のキャストがどうやって決まったとか、撮影時のエピソードとか。知らなかった話ばかり。
企画が生まれたのは1949年で、その時は制作資金も集まらず6年間棚上げ。実現したのは、当時プエルトリコから50万人の移民があって、そのことが社会問題になっていたという背景があったことも初めて知りました。
ジョージ・チャキリスはギリシャの移民。やはり重要な役柄を演じたリタ・モレノという女優さんもプエルトリコの移民で差別された経験があった。演じている人たちも自分の物語だと思っていた。そういうエピソードは新鮮でした。
当時はそういう見方が出来るような年齢じゃなかったですし。なぜ、未だに鮮烈さが失われないのかは、今も昔も変わらない”人種問題”というテーマがあるんだと再認識させられました。今の世界の方が深刻と言えるでしょうからね。
今、「報道ステーション」が点いてるんですが、スピルバーグ監督の「ウエストサイド物語」が公開されるというスポットが流れてました。どうなんだろう。オリジナルを超える作品になっているんでしょうか。
というわけで、「ウエストサイド物語」から「アメリカ」を。アメリカの「影」を揶揄する「シャーク団」と「光」を讃えるジェット団。白熱、集団のダンス対決でもありました。今の歌ですよ。じゃ、お休みなさい。