19日に行われた配信ライブですね。明日迄アーカイブで見ることが出来ます。その日に8枚目のアルバム「BADモード」が先行配信されました。2月23日のCD発売に先駆けて聴いてほしいという企画。久々の宇多田さんに見入ってしまいました。
ロンドンから配信してるんですよ、って妙なことを感心してしまうのはアナログ世代だからですね。自分の家でパソコンで見ることが出来る。一時代前だったらテレビでしか見ることが出来ないわけですからね、局を挙げての一大事だったでしょう。
90年頃だったと思いますが、CHAGE&ASKAがロンドンから生放送をしたり紅白歌合戦で長渕さんがベルリンから中継したことがありました。日本がバブルの絶頂の時ですし、お金も使い放題だったんでしょう。
宇多田さんのライブは収録されたものでしたから同じ比較は出来ないでしょうけど、そういう大上段なところが全くない。自然体そのもの。音も映像も素晴らしかったし、改めて時の流れを感じてしまいました。
彼女を見るのは2018年のツアーのさいたまスーパーアリーナ以来。あの時のツアーのバンドマスターが中心ということもあったんでしょうね。手練れ、職人、芸術家の集まり。タイトルどおり、まさに「Session」というライブでした。
セッションというのはこういうものなんだ、というお手本のような呼吸。それぞれのインディペンデントな距離感。自分の演奏に徹しているようで曲の一部になっている。余計なことはしてないように見えるのに限りなくその人が出ている。
もちろん、ロンドンの超一流メンバーだから出来ることでもあるんでしょうけど、隙間も音になっている。柔らかいけど強靭。クールだけど熱がある。躍動的だけど耽美的。シンプルだけど重層的。さりげない一音だけで曲や歌を表現している。
ミュージシャンでありながら表現者。飄々と淡々とこともなげに演奏している。その間を宇多田さんが漂っている。一段と儚さを加えた「声」と「音」と「リズム」のそれぞれの「際」が揺れているような危うげで艶やかな「歌」。堪能しました。
彼女がデビューした時からの言われ続けている天性のビート感に意識性が加わったようにも見えました。一語一語の隙間にもリズムがあるような細やかなフェイク。英語でも日本語でも変わらない。言葉を超えた歌。
静謐、というのかな。気品ある静謐。そしてどこか時間を超えている。ロックとかジャズとかクラシックというジャンルにもとらわれていない。久遠、という言葉がありますけど、静謐と久遠。誰もやってない音楽になってる気がしました。
どこか神聖。孤高という感じもありますね。孤高のボヘミアン。こういう音楽はアメリカでは出来ない気がしました。音も驚くほどにクリアーで統一されていて、映像もきれい。映像制作の中心はエリッククラプトンを手掛ける人だったようです。
今の若い人、特に2020年、21年の音楽の中心になっている若いリスナーには宇多田さんが日本で活躍していた頃のことはあまり知らないという人も出てきてるんじゃないでしょうか。そういう人がどういう反応をするのかも興味がありますね。
アルバムが出た時はNACK5の「J-POP TALKIN’」でも紹介出来ればと思ったりしてます。宇多田さん、19日は誕生日だったんですね。ということで、アルバム「BADモード」から「Find Love」を。東京の感染者数、ついに1万人を超えました。じゃ、お休みなさい。