”!”ですよ。何マークと言うんだっけ。エクスクラクラマーク、は違うか。でも、クラクラするところは似てますね。興奮しました。昨日、「興奮」とか「感動」とか簡単な言葉では表せないと書きましたけど、単純な言葉になってしまいました。
それにしても爽快、気持ちよく吹っ切れたライブでありました。昨日は、やっぱり状況が状況だったということですね。浜田さんのようなキャリアのアーテイストでも二年のブランクというのは特別な思いがあったんでしょう。そういうライブに見えました。
今日は違いますね。これぞ、浜田省吾、しかも若い頃にはなかった存在感が備わっている。40年前の武道館は29歳。間の換気休憩の時に当時の写真がアップされてましたけど、どこか線が細い感じもする。今の方が彼らしく思える。
そういう人は多くないですよ。「あの頃は、かっこ良かった」と思わせる人の方が多いでしょう。「若いっていいな」と思う。今日はそういう感じがなかったんですよ。曲に対してのなつかしさはあっても、ライブに対しては違ってました。
記憶はかなり怪しくなっているんです。でも、もっとあっという間に終わってしまったと思うんですね。当時の状況と武道館との落差に対しての気負いとか緊張とかのせいでしょうけど悲壮感のヒロイズムというのかな。
それこそ「若さ」ですよ。このまま倒れてしまうんじゃないかという、危ういくらいの必死さに溢れた勢い。もちろん、それが「若さ」の魅力ではあるんでしょうけど、今は、ライブが完璧に自分のものになっているように見えるんですね。
全てを自分の思うままにしている、というのかな。ミュージシャンの技術や照明や音響などの環境も含めて当時では表現できなかった質のライブに思えました。「若さ」も「円熟」も超越したロック。そうなんですよ、興奮しました。
たとえば、前半の「明日なき世代」や「青春のビジョン」や「土曜の夜と日曜の朝」とか、当時好きな曲でしたからね。「明日なき世代」が出た時は、当時のCBSソニーのプロモーターと「これで行けるね!」みたいな会話に熱が入ってました。
「青春のビジョン」は今の方がかっこいいですし。もはや青春じゃないから表現できる青春、というんでしょうか。「土曜の夜と日曜の朝」は、村上龍さんが好きだったなあとかね。興奮と走馬灯が一緒になってる。
でも、後半はもう走馬灯は出てこなかったですね。「終わりなき疾走」「独立記念日」「反抗期」「東京」「愛の世代の前に」は、ライブアルバムにもなった曲順でしたし。あの頃、一番聞いた曲順だったかもしれません。
突き抜けろ、駆け抜けろ、という気分。もはや九段下の坂道を歩くだけでフーフーいってるのにそういう気分になる。40年前の武道館の時、僕はいくつだ。35歳か。こんな感じで見てたのかなあと思ったりしてました。
同じ曲順で演奏していて今の方が遥かにうまい。演奏や歌のクオリテイ―が高い。照明もそうですよ。これでもかという網の目のようなレーザー光線の波。あの頃がどうだったか、などど思う暇もない。必要もない。興奮しますよ、ってまたか(笑)。
当時は到底出来なかったと思える40年後の完結編。胸のすくライブでした。「Welcome back to 80’s」のツアーの時も思ったんですが、あの頃「浜田省吾」に出会っていなかったら、今の自分がないことははっきりしてますね。今日、改めて思いました。
というわけで、明日は大宮、朝早い。興奮して寝付けないかもしれませんが(笑)。曲ですね。「明日なき世代」を。”69年の夏”という言葉が愛おしい。じゃ、お休みなさい。