今日と明日、二日間の武道館40周年公演。一日目が終了。足元はかなり凍結してますが、無事に戻りました。浜田さんがステージで「これ以上ない快晴の正月がいきなり」と言ってましたけど、突然の雪でした。
午前中に降り出した時は、すぐにあがるだろうから傘もいらないかなと思ったらとんでもない。午後になって強くなるばかり。一時が視界が見えなくなるほど。おまけに気温も低くて九段下から武道館の坂の雪が凍って滑りそうでした。
でも、色んな意味でいいコンサートでした。明日もあるんで曲目とか内容は触れませんけど、コロナ禍になってから見たコンサートでは一番、しみじみした感慨もありつつ手放しで楽しいという特別な夜になりました。
開演して一曲目のああいう言い知れぬ感覚というのは、今までに味わったことのないものでしたよ。一言で言えない。興奮したとか、熱が入ったとか、感動したという言葉では言い表せない。本当に始まってるんだろうか、みたいな非現実的な感覚もある。
40年前のセットリストということがそうさせているのかもしれませんけど、やっぱりコロナでしょうね。客席からの声がないというのもあります。拍手にもこんなに色んな意味があるということが伝わってくる。
画面に浜田さんやメンバーの表情がアップになるたびに「元気そうだな」とか「少し瘦せたかな」とか「精悍になった」とか「元気確認」みたいな心境になるというのもあまり経験したことがない感じでした。
これは他のコンサートでも思ったことですけど、歓声がないことで曲への入り込み方が違ってくるんですね。「なつかしいな、この曲」とか「これ、好きだったなあ」とか、「この頃、こうだったな」とか、色んな思いが湧いてくる。
しみじみというと変ですけど、そういう色んな感情に捕らわれるという意味でも貴重なコンサートでした。これもステージで言ってましたけど「時間って不思議だ」と思えてくる。それがまたニュアンスの違う拍手になって現れる。
40年ですよ。そんなに多くなかったですけど、客席にはあの時に会場にいた、という方もいらしゃいました。僕もその一人ですけど、そのことのリアリテイがどこかピンと来てない。そんな遠い過去と比較することにはさほどの意味はないんでしょうけど、「今の浜田省吾」に安心する、委ねているというのかな。
明日も見せて頂けるんで、続きは明日、ということになりますが。そのこと自体が感慨でもありますね。40年前には誇れるものもなかったですし、何者なのかも分かってませんでした。今は、もうちょっとマシな自分にはなれてる気もしますし。
そんなこんながあっての武道館、っていきなりまとめようとしてますが(笑)。というわけで、曲ですね。それは明日にしましょうか。でも、雪の武道館ですからね。「悲しみは雪のように」を。じゃ、お休みなさい。