米津玄師さん。今年は話をあまり聞きませんでした。今年を振り返るという番組や記事も見られる時期になりましたけど名前を見かける機会が減ってるなあという印象。改めて時の流れの目まぐるしさを実感させてくれます。
代わってあらゆる場面を席巻してるのがYOASOBI。テレビもネットもラジオも軒並みですね。この間の武道館もすさまじいくらいの報道のされ方になってます。2021年は「YOASOBI」の年だったと断言していいでしょうね。
他に優里の「ドライフラワー」というヒットもありましたけど、スケール感ということではYOASOBIということになります。「米津玄師」から「YOASOBI」への主役交代。表面上はそういう感じです。
共通点はいくつもありますよね。流れは同じところにある。何よりもボカロPだった。ボカロに曲を書くことで注目された。一つの曲に詰め込まれた情報量の多さ。めまぐるしいまでのメロデイーの動きやリズムの刺激というのも共通してます。
言葉の質の高さもそうですね。米津さんのボキャブラリーはBUMP OF CHICKEN、RADWIMPSと続いてきたロックバンドの「文学的冒険」の延長線上にありました。米津さんがRADWIMPSの野田さんに憧れていた話は有名です。
米津さんの功績は、ボカロPという存在とボカロの歌う曲とそういう「文学的ロックバンド」を融合したということでもあると思ってるんです。彼はバンド少年でしたしね。原点にバンドがあった。
YOASOBIも「音楽」と「小説」という二つのカテゴリーを融合した。ロックと文学という流れにある。そこに「歌い手」という存在を登場させた。「作り手」と「歌い手」を両立させた。そこにリアルな「歌い手」を介在させました。
きっとそこが一番違うところじゃないでしょうか。米津さんは「バーチャル」から「リアル」に「移民(YANKEE)」してきた時に「歌い手」を自分に置き換えたんでしょうから。軸足を「リアル」にした。そういう意味では「YOASOBI」は、「移民」しないで成功した。
というほどにボカロ系のアーテイストのことは知りませんが、そんな風に見える、という程度ですね。「YOASOBI」はボカロPとして、その形を変えずに「ボカロ」のまま「リアル」にすることに成功した最大の例になるのかもしれませんね。
この間の武道館は今までに見たことのない武道館でした。ライブのカタルシスに対しての考え方の違い、というんでしょうか。武道館のアリーナ全体を平面のステージにしてしまう。
それもスクリーンですからね。コンサート全体が表現になっている。ライブの熱、みたいなことはそんなに優位性がない。ネット世代のクリエーターという感じであり「コロナ禍」以降のライブだなあ、という印象でした。
米津さんの「Lemon」は、2018年から2019年。平成最後の象徴。あの曲はこれまでの歌謡曲も感じさせますし、本人の言葉を借りれば「ハイブリッド歌謡曲」。メロデイー志向。YOASOBIはまさに「令和」ということになるんでしょう。
米津さん、91年生まれ。30歳か。「30以上は信じるな」とは違う意味で、今、新しい20代が登場してるということですね。音楽だけじゃないか。野球もそうですね。今年活躍した人はほとんどが20代前半。
ということは、若者たちは頑張ってる。新しい力は生まれてるということですね。
新陳代謝は進んでいる。未来は捨てたもんじゃない。変なところに話が行きました。曲ですね。YOASOBIの「怪物」を。今年の彼等最大のヒット。じゃ、お休みなさい。