共同通信発の「80年代ノート」の原稿を書くので、その頃のことを色々思い出してました。この間、沢田研二さんの「MIS CAST」について書きましたけど、あれは82年。今週は83年から84年あたりの出来事やアルバムですね。
83年、CHAGE&ASKAの代々木第一競技場のライブがありました。「ツアー21世紀への招待状'83」のスペシャル公演。代々木が初めてコンサートに使われた日。CHAGEさんが「国の許可をとってきたぞ!」という名セリフを残した日です。
CHAGE&ASKAと初めて仕事したのが、あの時のライブビデオを作ることだったんですよ。構成をお願いしたいと言われて、ライブビデオでも、ライブ以外の要素があってもいいのではないか、と思って挿入映像を入れたりしました。
彼らのその前の年のツアーでそういう映像を使ってたんですね。ライブで本人たちが演技した映像を流したのは、彼らが最初じゃなかったでしょうか。オフコースはイメージ映像みたいな感じでしたからね。彼らは「主演」という感じでした。
でも、CHAGE&ASKAをほんとに良いと思ったのは、その後に出た「MOONLIGHT BLUES」だったんですね。それまでは好感の持てる二人、という印象だったんです。でも、「この曲、好きだ」と思ったのがあの曲でした。
代々木のライブビデオがあったことも関係してたんでしょうけど、「プロモーションビデオ」を作ったんです。二人にとっても初めてだったような気がしますが、こればかなり曖昧。僕も初めてでした。
CMのコピーとかを書いてればコンテを書くのも手馴れてるでしょうけど、僕はラジオと活字ですからね。初めて「絵コンテ」というのを書きましたね。やったことのない仕事だったんで、かなり迷いましたけど、あの曲に惹かれました。
ギターをかき鳴らして歌う二人、という感じがなかった。ASKAさんが初めてピアノで作曲したという話は当時聞きました。それまでの彼等とは違うイメージのビデオにしようと思いました。
撮影したのは井出情児さん、彼らが作っていた映像会社、EAST&WESTビジョンの制作。もうなくなってしまいましたけど、社長の高橋さんがプロデユーサー。CHAGE&ASKAもまだそんなに売れてなくてお金もかけられない頃です。
久々に見たんですよ。恥ずかしかったですね。ストーリーがあったんです。CHAGE&ASKAのパーテイの招待状が来るんだけど、事情があって出かけられない一人ぼっちの女の子が主人公。彼女が部屋中に風船を膨らませるんです。
で、その風船をひとつひとつ針で割ってゆく。そのたびにパーテイに参加している女性がひとりづつ姿を消してゆく、という設定。可愛いらしいけど、ちょっと怖いメルヘンみたいなストーリーですね。
撮影は六本木の何と言ったかなあ。ハンフリーボガードの映画「カサブランカ」に出てくるようなお店、というイメージでロケハンしたんじゃないかな。CHAGEもASKAもタキシード。大人のイメージでした。
ただ、お金がかかってないですからねえ。今見ると、残念ながらやっぱりちゃちい。しょうがないですけど。でも、やりたいことは伝わってきました。まだプロモーションビデオというもの自体が手探りでしたからね。
二人の感想は覚えてるな。「歌う天気予報にならなくて良かった」。あの頃のビデオってアーテイストが砂浜を歩いてるだけとか、天気予報のバックみたいな映像が多かったんです。それにはなってません。
「絵コンテ」を書いたのはあの時が最初で最後だと思いますよ。原稿にそんな個人的なことは書きませんでしたけどね。でも、あの曲はやっぱり好きな曲ですね。あの曲だからやってみようと思った。それは間違いないです。
というわけで。CHAGE&ASKA「MOONLIGHT BLUES」を。懐かしの一曲です。じゃ、お休みなさい。