というわけで、まだどっか阿蘇気分。お屠蘇気分には早すぎますけど。今年の正月はお屠蘇を頂けるのでしょうか、昔の友達とお屠蘇を味わうのは「屠蘇会」。違った「同窓会」ねって、全然面白くない(笑)。
阿蘇ロック、ニュースなどで割と紹介されてますね。いいことだな、と。今年の夏のそういうイベントに対してはあら捜しのような報道ばっかりでしたからね。フジロックにしても実はそんなに密じゃないのに、そういう場面を探してるみたいでした。
こんなに密だ、こんなに騒いでる、こんなことを野放しにしていていいんですか、みたいな論調。泉谷さんは「今回は成功しても失敗しても叩かれると思ってくれ」とスタッフに言ってました。そういう扱いにはならなかったのが救いですね。
「やばいらしい」という空気。”らしい”が一人歩きしてしまう。フェスはヤバいんじゃないの、みたいな空気が出来上がってしまう。何かあると「ほら、見たことか」という側に回ってしまう。そうならなかった。地元の理解の賜物です。
というようなことは行かないとわからない。特に「噴火」がありましたからね。あの映像を見れば、こんなところで野外イベントなんてとんでもない、と思いますよ。僕もあのニュースの後、マネジメントに電話してしまいました。
実行委員会がその直後に「外輪山なんで影響はありません」という声明を出して、そうなんだと思ったわけですが、でも、どこか半信半疑でした。え、こういうことなんだ、と思ったのは現地についてからですよ。
どこに煙があるの、という感じ。地元のおばさんたちは笑顔いっぱいでケータリングの料理を作ってるし、ボランテイアの若い人たちもはつらつとしてる。これが「風評」ということなのか、と実感したわけです。
噴火が起きて火山灰が降り注いで日常生活に影響が出ている、農産物に打撃になっている、というのが一般的なニュースでしょう。見ている人はそうか、そんな農作物は遠慮したいと思うでしょう。
おばちゃんたちは口を揃えて「熊本の野菜はおいしいんですよ」「東京の人たちにもっと知ってほしい」と言うわけです。確かに火口の周辺には影響も出てるでしょうが、その地域がどこでそうじゃないところはどうなってるのかを伝えない。
そういう「現場感」がこれまでの野外フェスとは全く違う感じでしたね。お前はどっちの味方なんだ、という気分になる。それを伝えないと、と思えたのは予想してなかったです。でも、「現場」というのはそういうことなんですよね。
ネットの知識や氾濫する情報では分からない現実をそこに行って確かめる。たった二日間のライブ取材ですが、そこを再確認できたのは意味がありました。最後まで「現場」にこだわろうという気にさせられました。
身体が持つ限りです。そう思わせてくれたのは泉谷さんだったからでしょうね。アスペクタは環境は素晴らしいんですが、ステージの作りが欠点だらけ。何よりもエレベーターがない。1基あるけど使えないんだそうです。
楽屋からステージに行くのに一階から3階くらいかな、急な階段をじぐざぐに上がってゆくんです。あれはきついです。70代の上がる階段ではありません。ステージ以前の問題かなと。「勇退」はこれか、と思いましたからね。
フェスの顔、主催者としてのリーダーシップや気遣い。彼がいなくなって大丈夫かなという心配はありますけど、あの階段は大変ですよ。どうなるでしょうか。あの会場は「勇退」、なんだろうな、と僕は思ってます。
というわけで、今日はbayfmの「THE BAY LINE」で生出演、「風街とデラシネ・作詞家松本隆の50年」の話をさせてもらいました。明日が本とCD、両方の発売日です。よろしくお願いします。
昨日、ぐったりしてました。午後はゆっくり休もうかなと思ってたら、昼ご飯の時にインプラントの被せモノが取れてしまいました。4時までに来てくれればつけ直します、というので急遽外出。午後は全滅でした。
取れた理由。思い当たったのが熊本での野菜の食べ過ぎ。新鮮で結構固いものを分け隔てなく噛んでしまった。過信していたのか、歯のことを忘れさせるくらいにおいしかったのか。両方かもしれません。でも、おいしい野菜でした。
妙なオチのついてしまった阿蘇ロックフェス(笑)。楽しかったです。というわけで「風評の歌」はないかな。はっぴいえんどで「風をあつめて」。「風評」はあつめなくていいです(笑)。じゃ、お休みなさい。