追悼、という言葉を一度に複数の方に向けることが失礼に当たるかどうか、判断が分かれるところかもしれませんが。でも、思いついた時に書いておかないと時間ばかりが経ってしまって、結局触れずじまいにもなりかねません。
色々お世話になった方、取材で何度かお会いした方、お作りになった曲が好きだった方、それぞれの方に対しての距離感は違うんですが、どこかで接点のあった方。そういう気持ちだけは残しておきたいと思いました。
年齢で一番近いのが、9月の初めになくなった折田さん。元ワーナーミュージックとポリドールレコードの社長さん。79才でした。日本の音楽業界のLEGEND。70年代のワーナーの洋楽を支えた方、レッド・ツエッペリンを日本に紹介した人ですね。
同時にワーナーで日本のロックを手掛けられていた。内田裕也さんがプロデユースしていたフラワー・トラベリン・バンドを海外に売り込んで成功させた人。加藤和彦さんの「ヨーロッパ三部作」を手掛けた人でもあります。
ポリドールに行ってからはスピッツやGLAY、山崎まさよしさんの責任者。ワーナーでは槇原敬之さんもデビューさせてますね。何度も取材して、ラジオのゲストにも来ていただきました。
2年前になるのかな。内田裕也さんがなくなった時にFM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」のゲストをお願いしてたんですが、脳の出血で入院されてしまって。「退院したらやろうな」という言葉は実現しませんでした。
桜井順さんも9月の末になくなりました。87才。少し上の世代ですね。CMソングの巨匠であり、能吉利人という@ペンネームで野坂昭如さんに曲を書いたり、多彩な作曲家でした。元三木鶏郎さんの「冗談工房」の一員でもあります。
やはり5月に亡くなった作詞家の伊藤アキラさんの先輩。資生堂のCMソングで有名になった人。フジフィルムの「お正月を写そう」は彼の作曲。「みんなCM音楽を歌っていた~大森昭男ともう一つのJ-POP~」の取材で色々教えて頂きました。
その後も何度か取材しましたね。小林亜星さんと同じ慶応。まさに慶応ボーイという感じでダンデイでした。伊藤さん、亜星さん、桜井さん。もうCMソングの全盛を支えた巨匠はいなくなったことになりますね。
そして、すぎやまこういちさんは9月30日。ついこの間。90才でした。もう説明の必要もないくらいの大作曲家。ザ・タイガースの成功はすぎやまさんなくしてはありえませんでした。バンド名の名づけ親でした。
東大出身で元文化放送。フジテレビ開局でそちらに移って始めたのが「ザ・ヒットパレード」。アメリカのランキング番組をテレビでやりたかったという始まり。そんな番組出来ない、という局の上層部に対して渡辺プロと組んで実現したんですね。
独学でクラシックを勉強して戦時中に禁止されていた学内オーケストラを作った人。ビートルズが「あれは音楽じゃない」と”良識派”を自称する人たちから総すかんを食っていた時に「クラシックの要素がある」と全面弁護した人。
その後には「ドラクエ」でゲームに音楽の革命を起こしましたしね。ジャンルを超えた作曲家。雑誌「アエラ」の「現代の肖像」を書いた時に何度か自宅にお邪魔して話をお聞きしました。ざっくばらんで気さくな方でした。
僕らより少し上の方たちが、ほんとに次々とお亡くなりになります。コロナ禍とは直接の関連はないんでしょうが、生きる気力や明日への希望を失わせることになってるのではないでしょうか。合掌です。
明日で免許の期限切れ。返納に行きます。諦めました。というわけで、曲です。野坂昭如さん、「黒の舟唄」。桜井順さんの詞曲です。じゃ、お休みなさい。