昨日、情報解禁になりました。こんなこと自慢してもしょうがないんですが、結構、そういう決まりを侵して叱られることがあるんです。悪気もなく何も考えずに書いてしまって「まだ解禁してません」と言われて削除したりすることも何度かありました。
以前、書いたスタジオジブリの機関誌「熱風」で連載していたものの書籍化。KADOKAWAから出ます。10月27日発売。もう一か月切ってます。まだ校正ゲラを見てます。今日で五日目です。家に帰ってません。というか、帰れません。
と言ってもNACK5「J-POP TALKIN’」のインタビュー収録もあったりしましたから、こもりっ放しの5日間ではないですが、3日はそういう状態ですね。近くのビジネスホテルにあるレストランと定食屋さんしか行ってません。かなり煮詰まってますね。
何でそういう状態になってるかというと、ひとえに自分のいい加減さのツケが回ってます。自業自得。どういうことかと言うと、雑誌の連載でしたからね。締め切りがあるわけでかなり見切り発車的に書いてるわけです。
中には、調べきれないままに記憶や思い込みで書いたりすることも少なくない。根が大雑把だし思い込みが激しい。つまり、間違い勘違いが結構あるわけです。KADOKAWAが契約している校正のプロがそこに赤字を入れてくれるんですが、真っ赤か。
夕焼け空が真っ赤っかというのは情緒がありますが、校正紙が真っ赤っかは気が遠くなる。作曲者やアルバムのタイトルが違うとか、そういう事実関係はないとかね。間違いを調べ直して訂正したり、文脈がおかしいところを書き直したり。
校正のプロというのはすごいですよ。こんなことまで調べ上げるんだという詳細をちゃんと指摘している。自分の記憶が信じられなくなる。自信喪失に近い。もし、こういう指摘をされないまま出版されたら物書き生命はなくなるな、というくらい。
まあ、出が放送作家ですからね、というと放送作家はみんないい加減と思われるかもしれませんが、ニュアンスはそうかもしれない(笑)。つまり、書きっぱなしなところがあるんですよ。放送台本は、番組が流れてしまえばそれで終わりです。
しかも、それを読んだり喋ったりするのは自分じゃないわけですからね。書いたものにどこか淡泊だったりする。このブログを書きっぱなしにしてるのもそんな例かもしれません。でも、本にするというのはそういうことじゃない、と思い知らされてます。
今頃、ですけどね。今まで何をやってきたんだ(笑)。でも、真っ赤っかに書き込まれた校正紙に感謝の気持ちでいっぱいです。明日、編集者が取りに来てくれます。今は雑誌の原稿も受け渡しという作業はありませんが、そこは書籍、という感じですね。500頁分のゲラはかなり重いです。
明日、75歳の誕生日になるわけですが、ホテルの缶詰で迎える。まだやれてる、ここまでやってこれたんだ、と言う妙な神妙さもあります。現役のまま後期高齢者になる。悪くないかな、という自己満足。自画じーさん(笑)。
というわけで、74歳最後の日でした。昨日、拓郎さんのラジオを聴いてたら何と、75年の「つま恋」の「人間なんて」のライブ音源を流してました。あんなに嫌がってたのに、そういう話もするようになったんですね。どっか不思議な感じでした。じゃ、お休みなさい。