というわけで、FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」の9月の特集は泉谷さんでやることになりました。本人出演で4週間。題して「泉谷しげる50周年・俺をLEGENDと呼ぶな」。50年間を辿ってみようと思います。
「俺をLEGENDと呼ぶな」というのは、泉谷さんが言ったセリフではなくて、きっとこう言われるだろうなと思ってのものですね。LEGEND FORUMは、僕の中では「ロックの殿堂」のイメージなんですが、見方によっては「博物館」でしょうから。
泉谷さんは、俺はまだ「博物館入りはしないぜ」というタイプですし、そういう意味じゃないんです、というのが伝わればとのサブタイトル。明日、前編の収録があるんですが、彼の反応が楽しみです。
最近は個性派俳優のイメージが強いんで、ミュージシャンと思ってない人もいたりしますが、音楽の軌跡をちゃんとたどろうと思ってます。ちゃんと、ですね。甲子園を制した智辯和歌山をコーチしたイチローさんが、そんな台詞を口にしてましたね。
ちゃんとした音楽番組。僕にどこまでできるか分かりませんが、出来るだけのことをやろうという気持ちは変わってないです。泉谷さんをそうやって紹介できる番組も少なくなってるでしょうし。
この間、初めて雑誌に自分の名前で書いた原稿が泉谷さんのドキュメンタリー番組について、だったと書きましたけど、初めてインタビューしたのも彼だったと思い出しました。忘れてましたね。
僕が一人で編集して原稿も書いていた、文化放送の「セイ!ヤング」の月刊の機関紙「ザ・ヴィレッジ」で「フォークソング」の特集をしたことがあるんですね。当時は放送作家でしたから、台本を書くことが主で自分でミュージシャンのインタビューをすることはなかったんです。
その時は自分で原稿を書くんで、インタビューもした。泉谷さんに電話でインタビューしたのが最初でした。紹介してくれたのが当時、小室さんのバンド、六文銭のマネージャーだった上田さんでした。彼は今、どうしてるんだろう。
これも僕が編集長だった78年に創刊した「タイフーン」という6号で潰れてしまった雑誌で彼のイラストを連載していたこともありました。役者になってから「週刊明星」の人物記事で北陸の撮影現場に取材に行きましたね。
というようなことを思い出しながら明日の台本を書いてました。台本、と言っても資料やデータを書いた自分用の進行メモですけどね。彼に台本は無用です。あると違うことをやりそうですし(笑)。でも、そんな個人的なことは聞きません。
1971年から2021年。最後は阿蘇ロックの話です。明日は、そういう話にはなりませんけどね。まずはエレックとフォーライフ時代のことです。そうだ、69年の新宿西口フォークに彼もいたという話は書きましたっけ。何を書いたか忘れてる(笑)。
まさに同時代。同じところにいた。そんなことを確かめながら。曲ですね。「春のからっ風」。20代前半、自分の場所を見つけられなかった頃の歌。こういう若者はいまもいるんじゃないでしょうか。じゃ、お休みなさい。