昼間、リモートでかなり長いミーテイングをしていて休憩時間にふっとスマホを見たら、訃報が入ってました。1941年生まれ、80歳でした。今年行われるツアーには参加しないというニュースは知ってましたけど、そんなに重病だったんですね。
僕はストーンズが人生の全てというような熱狂的なファンじゃありませんけど嫌いなわけがない。ある時期、優等生のビートルズ、不良のストーンズというイメージだった頃はストーンズ寄りだったりもしました。
そんな分け方には何の意味もないし、実はその反対だったり私生活では仲が良かったとかね。レコード会社やバンド側のイメージ戦略にまんまと乗せられていたことになりますね。そういう時代だったとしか言いようがないわけですが。
60年代の終わりから70年代の半ばくらいですね。ビートルズがなくなってしまってロックが反体制のシンボルみたいにだった時代。73年に初来日するはずだった幻の来日公演は、渋谷のプレイガイドに友達と交代で徹夜で並びました。
90年に初来日した時は東京ドームに何日か行ったりしました。ま、親父ロックファンの典型みたいなもんです。でも、自分でもよくわからないんですが、何か悲しい。どっか気が抜けたみたいな空しさがありますね。
チャーリー・ワッツだからでしょうね。ミックとかキースみたいに派出でスキャンダラズだったりしない分、そういう最期を想像できなかったということなんでしょう。一番堅実な感じがあった。達観してるように見えてました。
”枯れる”ミュージシャンのお手本みたいでしたもんね。ドラムは年じゃないよ、年期だよ、みたいな熟練の味。日本人のドラマーでもああなれるんではないか、と思わせてくる存在。拍子抜けみたいな悲しさという感じです。
ストーンズがあの時代のシンボルに祭り上げられたのは伝説が色々あったからでもありますよね。最たるものが、キースでしょう。ドラッグにやられてしまって、身体の血を全部入れ替えたとかね。
そういう意味では史上最も変わった、変身したロックバンドが彼等だったのかもしれませんよね。ミック・ジャガーの徹底した健康オタクは有名ですし、当時のバンドの中で誰よりもビジネス感覚に長けていたとか。
ミックは長生きするだろうなあ、と思ったりしていた影に隠れていたというと変ですけど、当然、そこにはチャーリーも一緒だろうと思い込んでた。え、そうなの。いきなり死んじゃうんだ、という感じ。そういうもんなのかもしれませんね。
彼がいなくてもバンドは続く。ストーンズはなくならない。また一つ伝説が加わったことになるんでしょう。でも、どうなんだろうなあ。違う人が叩いているバンドというのも想像できない。これは自分の目で確かめないといけないわけですが。
と言ってもミックとキースがいればストーンズでもあるんでしょうし。そう思ってしまうことが余計切なくさせますね。ジョンレノンがなくなった時、「ジョンが死んだ40歳まで頑張る」と言ったミュージシャンは多かったですが、チャーリーが死んだ80歳までは、という空気になるのかもしれません。合掌。外国風にいうとRest in peace、安らかにお眠りください。
というわけで、曲ですね。81年のアメリカツアーは、たまたま他の取材でロスにいたんでダフ屋でチケットを買って見に行ったんですよ。前座がプリンスでした。客席からブーイングが起きて彼が捨て台詞を残して引っ込んだ記憶がありますね。
思い出してきた。胸のポケットに小さなテレコを隠して入ったんだ。出たばかりのウオークマンみたいなやつ。帰ってきて再生したら「ワー」とか「ギャー」という自分の声しか聞こえなかった。最後「バンザーイ」って叫んでました。お恥ずかしい(笑)。
曲、何だろうなあ。「Time is on My Side」かな「Brown Sugar」かな。叫んだのは「Honky Tonk Women」でしょうね。あのツアーのライブ映像のタイトルになった曲にしますね。「Let’s Spend the Night Together」を。じゃ、お休みなさい。