二年ぶりのインタビューですね。今年の10月23,24日、熊本県阿蘇郡で行われる野外イベント「阿蘇ロックフェステイバル2021」について。この前少し書きましたけど、泉谷さんにとってこれが最後という野外イベントです。
媒体はシンコーミュージックの「ALL AREA」という雑誌。音楽雑誌「B・PASS」のシニア版というのかな。若者向けの音楽雑誌には縁がなくなってしまった大人のアーテイストをフィーチャーするという雑誌ね。
去年、中島みゆきさんのラストツアーの同行ルポも「ALL AREA」で書くことになってたんですが、ああいう形で中止になってしまってその機会もなくなりました。その前に書いたのは浜田さんの2015年のツアーですね。
音楽雑誌、なくなってしまいましたからねえ。先日、久々に編集長から電話があって、そろそろ出そうと思うんですけど、取り上げたいアーテイストはいますか、と聞かれたんで「泉谷さん」と言ったら「是非」ということになりました。
73歳の最後の野外イベント。どういう心境なのか、どんなことをやろうとしているのか、今までのライブ歴の中で阿蘇ロックは、どんな意味を持っているのか。話は色々あります。90年代の「スーパーバンド」とか「救済!路上ライブ」とかもね。
今や、ミュージシャンは思ってない人の多いのではないか、というくらいに俳優としての仕事が忙しい超個性派。でも、僕にとってはかけがえのないシンガー・ソングライター。阿蘇ロックはどうにかして見届けようと思ってるんです。
これも前に書いたような気もするんですが、自分の名前で原稿を書いた最初のアーテイストが泉谷さんなんですよ。いわゆる署名原稿というヤツですね。「放送批評」という雑誌で泉谷さんを追ったドキュメンタリーについてでした。
NHKの番組。「雑草時代」というタイトルだったんじゃないでしょうか。僕もどこの馬の骨とも分からない雑草そのものでしたし。同じところから始まったという親近感があります。二人合わせてもうすぐ148歳(笑)。
というわけで、泉谷さんの昔の曲を聴き直してました。当時好きだった曲があるんです。「陽が沈む前に」という曲。”遠い国へにげ 過去からにげるほど 僕の人生は重くない” というところが好きでした。
遠い国へは逃げなかったですけど、遠いところに来てしまったなあ、という感じはありますね。お腹周りも含めて(笑)。一日8000歩、容易じゃなさそうです。じゃ、お休みなさい。