中山ラビさんの訃報。一昨日でしたね。年齢は僕より少し下ですけど、同世代と言っていいでしょう。と言っても取材したのは70年代。加藤和彦さんのお別れ会でお見かけしたくらい。ほとんど接点はありませんでした。
大学が同じだったということもあるのかな。彼女は仏文だった思いますけど。学生時代にデイランに傾倒して、京都に行ったんだと思いますよ。そこで、デイランの翻訳をやっていた詩人、学者の中山容さんに会ったんじゃないかな。
彼女がやっていた「ほんやら洞」という喫茶店は隣の町でしたし。行ったことはないんですが、どっか近しい感じがしてました。何で行かなかったのかな。「あの頃」の空気に浸るのを避けていたのかもしれませんね。
好きなアルバムはあったんですよ。74年に出た「ひらひら」。声の存在感。哀愁と情念が混ざり合った女っぽさ。太いんだけど風通しがいい。岡林さんとか斎藤哲夫さんの女性版みたいな感じでした。
聞きなおしてみたんです。40年ぶりくらいかなあ。でも、イントロとかワンコーラス聞けば、そう、こういう歌だった、と思い出す感じがありました。音楽ってすごいなあと思いましたよ。あの頃の気分が蘇ってくる。
何といえばいいのかな。気恥ずかしいというか、ほろ苦い遠い日に戻ってゆくというか。そこから離れようとしたあの頃の自分のこととかね。「ひらひら」というのは言うまでもなく拓郎さんのライブ「73」にありました。
作詞、岡本おさみさん。ラビさんには、岡本さん的な感じもありました。置き去りにされたような、取り残されたような居場所のなさ。でも、ラビさんの「ひらひら」には拓郎さんのような乾いた感じはなくて、もう少し女っぽかったですね。
忘れられないのは、75年かな。文化放送でユーミンの番組の構成をやってたんです。その時に彼女が「ライバルは中山ラビさん」と言ったことがあるんです。都会的なユーミンと、対照的だったラビさん。
え、そんな風に見てるんだ、と思ったんですね。ユーミンのアンテナみたいなものを再認識させられた気がしました。今は、二人をそんな風に比べるは皆無でしょう。別世界。それが時間なんですよね。45年くらい経ってるわけですからね。
そんな時代もあったよねと、はみゆきさんか。そう、みゆきさん的な情感もありましたね。というようなことを思い出してました。ご冥福をお祈りします。曲ですね。ラビさんの「ひらひら」からアルバムの一曲目「川にそって」。
”私の街はもう店じまい”というところが好きでした。彼女の人生も店じまい、ということになりました。じゃ、お休みなさい。