オフクロの命日。一年経ったんだな、という感じ。先日、一周忌をお寺でやりました。親戚一同、と言っても10数名ですけど、高齢者が多いしあまり長くいてもよくないかな、ということで食事会などはなし、お経をあげてもらって解散でした。
お寺は都内にあるんですが、立地があまりよくない。道路から階段を上がらないといけないんで改築とかが出来ない。出来て400年という古さのまま。東京にはめずらしく古寺感がある。かなり鄙びてますと言えば聞こえがいいですけど。
坊さんのお経を聞きながら、ぼんやりとお寺って何だろうな、と思ったりしてました。もう少し大きいと「開寺400年」みたいな盛り上げも出来るでしょうけど、そういう規模でもない。こじんまりなんです。その分、時の流れから取り残されている。
僕の祖父から眠ってるんですが、彼はスペイン風邪でなくなってるんですね。ちょうど100年前。親父が小さいころに死んでしまって、彼にはほとんど記憶がない。男の子が生まれて、父親と同じ名前にしてしまったんです。
祖父がスペイン風邪でなくなった、という話は聞いたことはありましたけど、スペイン風邪というのがどういうものかは全くピンと来てなかった。どういう感染症だったかは、コロナになって知ったという感じです。
で、去年なくなったオフクロは今年100歳ですからね。彼女はコロナじゃなくて老衰でしたけど、コロナ禍だったことには変わりないわけで、スペイン風邪とコロナが
重なってしまいました。お寺の400年と一つのお墓に眠っている100年。
お寺というのはそういう場所なんだなあ、と。時間が蓄積されている。そして、お墓というのは、それだけの時間にどんな人が生きていたのかを記録している場所なんだと思いました。
お墓というのは、なくなった人を埋葬しているというより生きた証を伝えるための場所。こんなに沢山の人がなくなった、ということもあるでしょうけど、その人たちが生きていたという証拠が墓石じゃないんだろうか。
というようなことをぼんやりと考えたりしました。若いころには考えもしなかったようなことですけどね。さて、そういう歌があるかな。みゆきさん、「命の別名」かな「進化樹」かな。「進化樹」の方を。じゃ、お休みなさい。