昨日、斉藤和義さんのライブを見ていた時に、留守電が入っていて寺内タケシさんがなくなったことを知りました。でも、ここを書いているうちにそのことがどこかへ行ってしまったみたいで、改めて書いてます。
と言っても取材したことは一、二回だった気がします。それもかなり前、70年代でしょうね。エレキギターを広めたいと学校を回るようになってから。そういう意味ではレコード音楽の前線から少し引いたところで活動されている印象でした。
エレキの神様ですよ。速弾きという技術的なこともあるでしょうけど、クラシックや民謡をエレキアレンジしてましたからね。あれは早かったですね。単体の表現楽器としてのエレキギターという発想は、彼が元祖じゃないでしょうか。
ブルージーンズはテレビで見た回数の方が多いかな。内田裕也さんとか安岡さんとか、加瀬邦彦さんとか、ロカビリーからGSという流れの中では重要な役割を果たしてますね。かまやつさんやスパイダースも同じころですね。
ビートルズの日本公演の前座だった一組ですよね。メンバーだった加瀬邦彦さんが、前座をやったら客席から見られないと脱退した、という話は有名です。かまやつさんから聞いたんですけどね。脱走、と言ってましたね。
彼のような人がいたから昨日の和義さんのようなステージもある、ということになるわけです。と言いつつ、僕の中では同じエレキの伝道師としても加山さんたちの方が身近なのは、”歌”があったからでしょうね。
これはもう時代としか言いようがないわけですが、僕らの10代、高校時代はエレキはハードルが高かった。60年代の前半、大昔。この辺の話はジジイの思い出話以外の何物でもありません。僕らの高校にはエレキバンドは一つだけでしたからね。
東京の郊外の公立の普通高校。バンド名は”カラフル・ベンチャーズ”だったんじゃないかな。ベンチャーズのアルバムのまんまですが。バスケット部の連中。高柳君、山口君、田村君。ごめん、後一人、思い出せない、って誰に謝ってるんだ(笑)。
楽器が高かったというのもあるな。バスケ部は割と金持ちの息子が多かったのかな。僕らは廊下で箒を手にエルビスの真似をしてました。三つ下の弟は高校でエレキバンドを組んでて、ベンチャーズも加山さんもやってましたね。
弟がやってると兄貴はやりにくいというのもあったかもしれません。結局、その後もフォークギターをぽろぽろやるくらい。それが今もミュージシャンに尊敬の念や憧れる気持ちにつながってるんだろうな、という自己分析にもなるわけですが。
楽器が弾ける、楽譜が書けるというのは、外国語を話せるという以上の特技だと思ってますね。10年以上前かな、評論家の小貫さんがピアノを習い始めて時にその気持ちは分かる気がしました。
何を書いてるんだっけ(笑)。エレキの話だ。生まれ変わったらミュージシャンになりたい、かな。でも、努力しないからきっとダメでしょうね。最初からうまいミュージシャンなんていないわけですからね。
というわけで、寺内タケシさんを偲んで。寺内さんがアレンジした加山さんの「夜空の星」。ブルー・ジーンズのバージョンを。インストです。じゃ、お休みなさい。