という台詞がありました。今日、横浜アリーナで行われたいきものがかりのツアーの最終公演。水野さん、吉岡さん、山下さんという3人のいきものがかりの最後のステージ。アンコールの締めくくりの水野さんの言葉がこれでした。
配信の生中継。こういうライブはそうやって見られることに大きな意味がありますね。横浜アリーナも客席は半分、当然のことながらチケットはソールドアウト。最後のステージを見たいという人がどのくらいいたか。途中からになってしまいましたが、ありがたかったです。
僕は見ませんでしたけど、嵐の解散コンサートなんかもそういう感じだったんでしょうね。会場には入れない。でも、同じ時間につながっていると思える。そこにはいけないんだけど参加しているように思わせてくれる。
ライブの間、終始涙を浮かべているようだった吉岡さんはじめ、3人の表情は客席にいるよりも感じ取れたでしょうし。見届けた、と思える時間になりました。で、どうやって終わるんだろうと思っていたフィナーレでの言葉でした。
あ、これなんだな、という感じがしたんです。こういう関係性が好きだったんだな、と思えた。離れてゆく山下さんを、とか、二人で歩いてゆくいきものがかりを、ではなく「3人をよろしく」と言える。フェアだなあ、と思いました。
どこか清々しいというのかな。水野さんにしても吉岡さんにしても色んな感情も感慨もあったでしょうけど、それを等価にした、という挨拶。あのバランスがいきものがかりだったんだな、と再認識しました。
だったんだな、ですよ。やっぱり過去形。3人がお互いを思いあっている。自己顕示に流れない。一歩引いて自分たちのことを見ている。自己顕示の嵐が吹きまくている世界で彼らが一味も二味も違っていたのは、そういう関係だからでしょうね。
業界っぽくない。どろどろしたしがらみが見えない。歌の中でも、過剰に自分たちの色を出さない。その分、吉岡さんの清涼剤のような個性が出やすかった。それは最後までそうだった、というステージでした。
最後まで、というのは言い過ぎですね。新作アルバム「WHO?」の一曲目のように「TUZUKU」なわけですから。これからどんな二人組になっていくのか分かりませんし。2人になってもやっぱりいきものがかりだね、と思うこともあるでしょう。
でも、山下さんに対しては、どこか特別な親近感があったのは事実なんです。こんなこと書いてもしょうがないんで、今まで書いたことも話したこともないんですが、2009年の初の全都道府県ツアーの取材の時ですね。鹿児島公演の打ち上げでした。
居酒屋だったかバーだったかは覚えてないんですが、僕は雑誌のスタッフやイベンターの人たちと一緒にいて、そこにミュージシャンやスタッフと話していた彼がやってきて、唐突に質問をされたことがあるんですね。
彼は「全学連と全共闘とどう違うんですか」といきなり聞いたんですよ、え、と思って「何でそんなこと聞くの」と聞いたら「知ってそうな気がしたから」と。70年代のことを色々調べていて知りたくなったんです、ということでした。
そんな風に見えていたんだ、と思ったんですが、この仕事を始めて、そんなことを聞かれたのは初めてでしたからね。あの時代のことはもう遠い過去になってますけど、その後はかなり真剣にそういう話をした覚えがあります。
こんなこと書いてどうする、ですけど(笑)。でも、彼の真面目さの一旦は伺えるんじゃないでしょうか。もう会う機会もないのかもしれませんが、僕はあの夜をずっと忘れないと思います。3人の幸運を祈るばかりです。
というわけで、曲ですね。最後の曲はやっぱり「SAKURA」でした。あの曲を。最初に聴いた時に、「これ、誰」と腰を浮かせた記憶があります。副反応、夜になってやっと収まりました。昨日、かみさんが二回目だったんですが、彼女は今日、一日中38度超えの熱に襲われてます。じゃ、お休みなさい。