FM COCOLO「J-POP LEGEND FORAM」6月の「甲斐バンド特集」の二週目の収録。1977年から79年をたどってみようという回ですね。アルバムで言うと、77年の「この夜にさよなら」、78年「誘惑」、79年「My Generation」という3枚。
彼らを取り巻く状況が一変した時期。なぜかというと78年の12月の終わりに「HERO~ヒーローになる時、それは今」が出て初の一位というエポックメイキングな出来事がありました。それまでのシングルが5万枚くらいなのにいきなりのミリオンセラー。
状況が変わらないわけがない。79年の9月にロックバンドとして初のNHKホールコンサートがあって、12月に武道館の二日間公演になる。「79年のドラマはすべて終わりました。俺たちは80年代に行きます」と言ったあのライブですね。
状況だけじゃなくて音楽も変わりました。垢ぬけていった。「この夜にさよなら」から「誘惑」の変化がそんな感じでした。間に「HERO~ヒーローになる時、それは今」がより加速させていった。ロックバンドとしての旗が高々と掲げられた。
台本を書きながら、改めて、いろんなことを思い出していて、ふっと思ったんですが、あの頃、もし、甲斐バンドと出会っていなかったら、今、こういう仕事をしてただろうか、と。僕にとっても転機になりましたからね。
70年代の深夜放送がそれまでのサブカル路線から芸能界的に変わっていった時期で、僕はラジオを離れて雑誌に軸足を移してたんですね。文化放送の最後のレギュラー番組が77年だったんじゃないかな。
放送作家をやっている時も原稿は書いてましたけど、特定のバンドやアーテイストについてという感じじゃなかった。甲斐バンドは「ビートニク」という機関紙があって、そこに定期的に書くということが大きかったですね。
ツアーに同行したり連載を書いたり、密着インタビューをやったり。音楽について書くことがこんなに面白いのかと思わせてくれた。85年に出した「ポップコーンをほおばって」は、それがあったから書けたものですね。
今回の番組で、あの本を読みなおしたんですが、かなり複雑な感想を持ったんですよ。今みたいに音楽ばっかり書くようになると思ってませんからね。「Another Side」というサブタイトルがそれだったんです。
こういう切り口もあるのではないか、という提案みたいな気分。その分、音楽の話が少ない。その不満というか、気恥ずかしさがかなりありますね、って今頃言ってもしょうがないわけですが。この話はまたかな(笑)。
というわけで、明日は二週目。その頃の曲を。78年の「誘惑」の中の「翼あるもの」を。じゃ、お休みなさい。