昨日かな。40年来の友人から「ガン宣告」されたという連絡をもらったんですね。この間の伊藤アキラさんのこともありましたし、去年からそういうことが立て続けにになってて、かなり応えました。
フリーランスの人は友人が多いように見えることもあるみたいなんですが、その逆ですね。会社づとめをしていた人は同僚とか先輩後輩とか、同じ職場や会社に人間関係があるわけです。僕らは、そういう恒常的なお付き合いがありません。
原稿の仕事も基本は一期一会。インタビューにしてもそうです。長年お付き合いしているバンドやアーテイストもずっとそういう距離感でいるとは限らない。続く方が少ないでしょう。どこかで遠ざかって行ったりする。
そういう意味では番組を一緒にやってる人たち、ということになるんでしょうけど、それもスタジオでのことですからね。いわゆる友人という人はほんとに少ない。昨日、電話をくれたのは、そんな数少ない相手でした。
70年代からですからね。業界にはいるんですけど、立場は全然違う。今はリタイアしましたけど、一時は会社をやってました。でも、仕事らしい仕事はしたことがないのに、形になるかならないかの企画話をして盛り上がったりね。
二人で旅行したこともある、という妙な関係。僕より全然不良でいい加減なんだけど、嫌みがない。年に何回かは食事したり、お酒飲んだりしてましたけど、コロナですからね。去年は全く会わず仕舞い。何度か「どうよ」みたいに電話で話すだけ。
今年になって何回目かの電話がそれで、もうすぐ手術、入院。状況を聞くとかなり深刻なんです。入院したらお見舞いにも行けないのが今、ですからね。あの時、会っておけばよかった、というのだけは避けたい、と思って横浜まで行ってきました。
何ていうんだろうな。淡々とした覚悟というんでしょうか。お前みたいに仕事してれば別だけど、もう、やることはやったからな、もういいんだよ、みたいな諦観。こういう会話は経験がなかったですね。
冗談で「最後のお茶会をしようか」みたいに言って会ったんですが、別れ際はほんとにそうなるのかなあ、という感じでした。思わず「またな」と言ってしまって「また、は変か」と言って別れました。
彼も見送られるのが嫌だったんでしょうね。「じゃあな」と拳を合わせて同時に背中を向けて振り向かない、みたいな最後。どうなるんでしょうね。また会えるのか、会えないのか。運を天に任せるという感じです。
そうやって別れたところに某レコード会社から電話で「弊社の社長がなくなりました」という連絡をもらいました。ガンでした。まだ50代。すごい日だなあ、と思いながら電車の中でボーっとしてました。
ほんとに色んな人が思ってもなかった場面を迎えてます。自分もいつかそうなるんだろうなあ、と。これもどこか淡々としながら思います。でも、まだやることやったから、もういい、みたいな気分にはまだなってませんし、なれません。
後何年か分からないけど、出来るところまではやろうと。これは執着ということじゃないですね。好きなことをやってこれた人間のささやかな願いかな。でも、「あの時会っておけばなあ」と思わずには済むかもしれません。
ということで、それぞれの最終章です。曲ですね。拓郎さんの「あなたを送る日」。別れた後に「ありがとう、楽しかった」というメールが来ました。じゃ、おやすみなさい。