連絡をもらったのはお昼ごろかな。NHKの7時のニュースでも扱われてましたね。日本を代表する作詞家。それもCMソングに特化した稀有な存在。松本隆さんが2000曲くらいですから、もっと多いことは間違いないでしょうね。
去年から入院されているのは知ってましたけど、コロナでお見舞いもいけない。お世話になりましたからね。お礼を言わないとなあ、と思ってたまま逝ってしまいました。こういうのが立て続けなんで、気が滅入っていきます。
2006年か。CMソングの伝説のプロデユーサー、大森昭雄さんのことを書いた「みんなCM音楽を歌っていた~大森昭雄ともうひとつのJ-POP」という本を出したんですが、CMソングを書かないか、と言ってくれたのが彼でした。
あの本は、この間まで松本隆さんのことを書いた連載が載っていたスタジオ・ジブリの月刊誌「熱風」で2年かな連載したものをまとめた本で、伊藤さんは毎月の連載の人選とかテーマをアドバイスしてくれて取材にも同席してくれました。
CMソングというのは、文化的なランクで言うと、かなり下に見られていたんですね。「シャリコマ」という言葉があって、お金のために志を売る、みたいに思われてました。そういう中でCMソングを書き続けていた。プロ中のプロです。
そもそもの始まりは、学生時代にCMソングの父、三木鶏郎さんが主宰していた「冗談工房」の研究生で業界入りしてるんです。三木鶏郎門下と言えば、いずみたくさん、野坂昭如さん、五木寛之さん、そうそうたる人たちがいました。
CMソングは曲は知っているけど、書いた人は知らない、という音楽。何といっても大滝詠一さんが初めてCMソングを書いた「サイダー73」に始まるシリーズでしょう。文化放送でやっていた「三ツ矢フォークメイツ」で毎日流れてました。
いっぱいありますよ。一番有名なのは日立の「この木なんのき」。息子が初めて歌えた曲があれでした。その話をした時にはほんとにうれしそうでした。いつもニコニコして、時々このブログの感想を電話してくれたりしてました。
CMソングだけじゃなくて渡辺真知子さんの「かもめが翔んだ日」とかヒット曲もある。浜田さんの「5月の風に」もそうですね。でも、CMソングが肌にあったんでしょうね。教育大卒、業界のしがらみが全く似合わない先生のような人でした。
フリーランスの保険について相談したこともありましたね。今、通っている歯医者さんは、伊藤さんに紹介して頂いたところですし。歯医者さんでも人気があったというか、誰からも愛される人だったんだと思います。
いろんな面で公私ともにお世話になりました。心から感謝してます。それを伝えられなかったのは本当に残念です。CMソングなのにNHKのニュースで取り上げてくれたのは嬉しかったです。誇らしい気がしました。
日本のCMソングの歴史そのものの生き証人がまたひとりいなくなりました。彼の名言を紹介します。「100にひとつのアイデアは101回目に待っている」。努力の人だったんでしょう。そういう顔は見せたことがありませんでしたけど。
曲ですね。「この木なんのき」か「サイダー’73」。やっぱり「サイダー」ですね。大滝さんとウマがあう数少ない作詞家だったんじゃないでしょうか。心からご冥福をお祈りします。ありがとうございました。合掌。