副反応という言葉はコロナ禍になってから。もっと言えばワクチンが使われるようになってからでしょう。それまでは副作用と言ってましたもんね。副作用から副反応。こんなに短期間で使われる言葉が一新してしまったのは、あまりないでしょうね。
で、副反応。やっぱりあります。腕の痛みは夜になってからもっと強くなって、寝返りが打てませんでした。腰も痛いし頭痛もする。導眠剤のお世話になりました。でも、熱は出なかったんで想定内ということでしょう。今日は昨日よりも楽です。
ただ、喉が痛いのは予想してなかったんですよ。扁桃腺が腫れてる感じがして唾を飲み込む時にひっかかりがある。病院にその旨を聞いて副反応なのか聞いたら、関係ないでしょう。たまたま重なったんだと思います、と言われました。
自分で言うのも何ですが、あっちが痛いとか、こっちが変だとか、そんな話ばっかり(笑)。こういう話はどんどん増えていくか、あるいは全くしなくなるか、どっちかでしょうね。こんな話ばっかりだと自分で気が滅入ってくる。
全く書かなくなったら、もうそれが日常、せめてここだけは楽しいことを書きたい、という時期なんだと思ってください。遅かれ早かれそうなります、って余計か(笑)。田村正和さん、77歳でした。もっと年上と思ってました。姉と同じです。
妙な言い方ですけど、こうやって外掘りが埋まってゆくんですね。観念させられてゆく。もう若くはないんだよと真綿で首を絞められてゆく。もちろん若くないわけで、返す言葉もないわけですが。せめて気持ちだけはね。
でも、今日、嬉しいこともあったんですよ。それも二つ。一つはもう少し時間が経ったらちゃんとした形でお伝えできると思います。もうひとつは、これも普段はあまり書かないことなんですけどね。多少、反則かな。明日、削除するかも(笑)。
GLAYのTAKUROさんから突然、電話があったんですよ。何事だろうと思ったら、HISASHIさんが昨日、都心で僕を見かけたと言ってたんだそうです。いや、昨日はワクチンだから都心には行ってないよ、というそれだけの会話でした。
そういう日常会話に出たというのがなんだか妙に嬉しかったんですよ。去年、ファンラブの会報誌でリモートインタビューをやったのが一年前。なのになんだか、ずいぶん前みたいな感じに思える。気弱になってるんでしょうね。
ワクチンがどこまで気持ちを立て直してくれるか。二回目は三週間後です。というわけで、明日、腕の痛みはどこまで弱くなってるんでしょうか。曲ですね。先日、2001年のアルバム「ONE LOVE」の20周年アンソロジーが出ました。
その中に「パチパチ」だと思うんですが当時書いた原稿が使われてました。あのアルバムの中から「ひろひらの自由」を。ミャンマーでもパレスチナでも「国を追われた」人たちの悲劇が続いてます。自由が悲鳴を上げてます。じゃ、おやすみなさい。