思い出おじさん、じゃない、思い出じいさんです。昨日、GLAYの「pure soul」ツアーのことを書きましたけど、去年から今年にかけてふとした時に思い出すのがツアーの取材なんです。夢に出てくるのも、そういうシーンが一番多いですね。
ツアー中の出来事とか移動中のこと。ホテルの様子とか、会場に向かっているときのこと。それも、苦い場面が多い。会場の入り口がわからなかったり、バックステージパスがなくなっていたり、開演時間に間に合わなかったり。
夢に出てくる人たちもそういう人たちがほとんど。アーテイスト本人だったりスタッフだったり。ツアーというのは、やっぱりそういう残り方をしてるんでしょう。インタビューで会いました、というのとは関係性が違う感じなんですね。
あ、昨日の書き込みありがとうございました。ご心配おかけしました。そして、「夢の地平」について触れていただいて嬉しかったです。GLAYの「pure soul」ツアーは、98年4月から9月にかけて行われたものですね。
ツアー同行取材自体は、90年の浜田さんのツアーで経験してましたけど、98年のGLAYは爆発的な人気の嵐の中で行われたもので、かなり勝手が違ったんです。会場にもホテルにもファンが集まってる。移動中にもファンが車で追っかけてくる。
それも何台もの「白タク」に分乗したファンとのカーチェースになるんです。ホテルをファンが取り巻いて危険だからメンバーは外に出られない。裏口から出てお店に行くと、すでに情報が洩れていてお店がファンで包囲されている。
ジャニーズ系のツアーでは珍しくないそうですけど、ロックバンドでああいう経験をしたのはGLAYだけでしょう。次の街への移動もホテルの裏口を使って気づかれないように出てゆく。ヘヤメイクやスタイリストさんたちと一緒に行動するわけです。
浜田さんのツアーの時はスタッフと一緒に移動してましたからね。体力的にはきつかったですけど、スタッフとの「戦友」的関係みたいなものはとっても心地よかったんです。それとは正反対。そのストレスがすごかったんでしょうね。
もちろん、その分、メンバーとの時間は今も夢に出てくるくらいに濃密でした。僕は50代になったばかりでしたけど「青春」してる感じでしたからね。一緒にいるだけで「バンドの絆」の一端に触れることができた感じでした。
「夢の地平」の後書きに「抱きしめたくなるような本を書きたかった」と書いたんですけど、そういう思い出なんですよ。何本見たのかな。ホールツアーが50本くらいかな。スタジアムや野外もありました。みんないい思い出なんです。
それは僕が「会社員」じゃないからでもありますね。集団で何かをするという場所がない。ツアーというのは「同じ旅の飯」「同じ釜の飯」。浜田さんのツアー「ON THE ROAD90」は、47都市83本かな、まさに「旅」です。
しかも一年以上。2011年の震災の後の「ON THE ROAD2011」もそう。それぞれのツアーのスタッフの顔は今でも思い出せますからね。今は離れてしまった人も多いですけど、それはそれです。
ツアーがないということが、もうそういう取材をすることもないのかなあ、という諦め感を深めていく、というのが去年から今年ですね。最後のツアー取材のつもりだったみゆきさんの「結果オーライ」も中止になってしまいましたし。
きっと、こういう仕事をしてきたライターの人は多かれ少なかれ同じような諦めと葛藤しているんだと思いますよ。どこで何を諦めるか。寂しい話ですが。というわけで、曲ですね。浜田さんの「ON THE ROAD」を。じゃ、おやすみなさい。