FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」の5月の特集ですね。先日、少し書きましたけど、「高田渡」です。2005年4月16日になくなった永遠のフォークシンガー。生き方そのものが音楽だった伝説の人。17回忌に合わせての特集です。
3月の岡林さんもそうだったんですが、渡さんもいつか特集したいなあ、と思いつつ機会が見つけられなかった。彼が元気だった頃にそんなに接点がなかったとか、近しい人がたくさんいるんで、僕に語る資格はあるかな、とどっか遠慮気味でした。
幸い、彼の写真集「高田渡の視線の先に~写真擬・1972~1979」が出たというようなこともありましたし、今やらないときっと後悔するだろうな、ということもあって何とかこぎつけました。
先日収録した、ご子息の高田漣さんに続いて、今日、収録したのはベルウッド・レコードを立ち上げたプロデユーサー、三浦光紀さん。渡さんのオリジナルアルバムをもっとも多く手掛けられた方ですね。
三浦さんは、何度か登場していただいてますし「三浦光紀」という一か月の特集を組んだこともありました。ベルウッド、フォノグラム、徳間JAPANと時代が変わりながらかかわったレコード会社で新しい人を発掘、送り出してきたLEGENDですね。
ベルウッドは、関西のURCに所属していたアーテイストを引き受け発展する形で当時のシーンを作った拠点です。小室等さん、高田渡さん、はっぴいえんど、加川良さん、西岡恭蔵さん、あがた森魚さん、大滝さんは細野さんのソロ。数えきれません。
そうした人たちの精神的、物質的な支えになっていたのが三浦さん。1944年生まれ。1949年生まれの渡さんのお兄さん的存在。高田渡さんのエッセイ集「バーボンストリート・ブルース」にも何度となく彼の名前が出てきます。
高田渡という人は、ステージで酔っ払って寝てしまった、深夜放送のスタジオで酔って嘔吐したとか、お酒がらみの話題で語られることが多いですが、世の中の矛盾とか、人間にとって大切なこととか、一番本質的なことを歌ってきた人でもあります。
メッセージソングという意味では、一昨日、5月2日が命日だった忌野清志郎さんに通じるものがあります。二人がどういう交流があったかは調べないといけないんですが、かなり近しいものがあったと思います。
ジャンルを超えている、というのかな。例えば、「はっぴいえんど」と「高田渡」は、今のリスナーの中では「ロック」と「フォーク」という別のものなんでしょう。でも、高田渡さんは、はっぴいえんどを最初にいいと言ってくれた一人です。
大滝さんと渡さんは三浦さんを媒介にしてとっても仲が良かった。はっぴいえんどの3枚目のアルバムのロス録音は当初、渡さんと大滝さんが行く予定だった、というのは有名な話です。それも三浦さんですね。
というようなことを織り交ぜながら、彼の中で「高田渡」はどういう存在だったのか、アルバムをテーマに二週に渡って聞きました。一週目と五週目が漣さん、二週目、三週目が三浦さん、ということになりました。
「ベルウッド」というのは一つのジャンルだった、その柱の一つが「高田渡」だった。そんなことも思わせてくれるインタビューになったんじゃないでしょうか。というわけで、曲ですね。彼が10代の時に書いた曲「銭がなけりゃ」を。
コロナ禍は貧富の差を見せつけてます。今だからこそ、高田渡の歌を、という特集でもあります。この曲もそんな曲。バックははっぴいえんどです。じゃ、おやすみなさい。