何だかなあ、という重ーい気分。ニュースを見ていても釈然としない。本当に知りたいことを誰も言ってくれない。それなのにすでに結論が出ていて、そこに向かって物事が水面下で進んでいるという気配はどんどん強くなってくる。
えー、と思ったのは「五輪用の医療施設」という考え方。今、コロナ対策に使われている病院が「五輪指定」になってしまうんだそうです。医療関係者が足りなくなるだろうから自衛隊を動員する、という話もあるみたいです。
戦時中の「軍用病院」みたいな感じがしたんですよ。戦時中、「病院船」という船があったことはもう知らない人の方が多いでしょうね。横浜の顔になっていた客船「氷川丸」も戦時中は「病院船」として使われてました。
民間の船会社の船も軍に「徴用」として接収、というのかな、戦地に向かう輸送船や病院船として使われたんですね。今、コロナ専用になっている病院も「五輪指定」になるというのは、それに似てるなあと思ってしまいました。
IOCのバッハ会長が「日本人は粘り強い」だったかな。「我慢強い」か。「この苦境を乗り越えてくれると信じてる」みたいなことを言ったんでしょう。「五輪」といいのはそういうものなのかなあと。
確かにウイルスとの戦いは一種の戦争みたいなものでしょう。医療関係者は命がけで戦ってると思いますし。誰もが色んなことを我慢したりして過ごしてますよね。それは、自分たちの明日、自分たちの平穏な生活に戻るためでしょう。
感染症対策というのも「国民」のためであるべきで、そこに「五輪」という大義名分が入る余地があるんだろうか、と思ってしまいました。感染者を抑えるのも、誰もが安心して暮らせるために行われるのが常識的な考え方だと思うんです。
「五輪」をやるな、とか、そういう二者択一じゃなくて。「平和の祭典」のために「戦争状態」を強いることがいいことなんだろうか、というだけです。アスリートへの敬意はあります。でも「五輪」は、やっぱり営利事業ですよ。
というようなことは僕が言うようなことじゃありませんが。でも、今でこそそうなりつつあるのに、「五輪」のために治療も受けられない「国民」が出るようなことはあっていいんだろうか、とは思います。
曲ですね。頭脳警察のパンタさんのお母様は、戦時中、従軍看護婦さんで、フィリピンの戦地から帰る時「病院船・氷川丸」で帰国したそうです。その途中に船が魚雷攻撃されて沈みかけた。もし、沈んでたら僕は生まれていなかったと言ってました。
「病院船・氷川丸」は、6,7年前かな。NACK5でドキュメンタリーにしたことを思い出しました。パンタさんの曲、「マラッカ」を。今、中国が虎視眈々と狙っている海峡です。じゃ、おやすみなさい。