FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」の5月特集は「高田渡」。その一週目のテーマがこの写真集「高田渡の視線の先にー写真擬ー1972-1979-」。リット―ミュージックから、先日、16日の命日に発売されたものですね。
撮ったのはもちろん高田渡さん。写真の構成や解説を手掛けているのがご子息の漣さん。インタビューゲストも彼でした。5月は5週間あるので、漣さんは、一週だけのゲストには終わりません。当然ですが。
写真集。膨大です。厚さにして三センチくらい。頁数で約400頁。10以上のキーワードに分けて構成されていて、ほとんどがモノクロ。後半にアルバム「フィッシング・オン・サンデー」というロサンジェルスレコーデイングの模様だけカラーです。
興味深い写真集でした。あんなにカメラ好きだったとか、海外旅行していたとか、僕が知らなかっただけでしょうけど、色んな発見がありました。1972年から79年となってますが、多いのはやっぱり70年代半ばまで。その時代の貴重な記録でした。
いきなり72年のヨーロッパから始まるんですね。漣さんも言ってましたが、”高田渡”というイメージはアメリカンフォークソング。でも、彼はそうした音楽に目覚める前はヨーロッパ志向だったんだそうです。それがよくわかる写真でしたね。
漣さんの解説にありましたけど、渡さんの写真には二つの特徴がある。一つは、普通の生活をしている人、働いている人を撮ったものが多い。もう一つは、人物の背中。背中越しにそうした人たちを撮っている。
普通の人たちの何気ない仕草を背中から撮ってる。その視線がとっても優しい。漣さんは「シャイな人だったから、正面からカメラを向けるのとためらったんでしょう」と言ってました。背中は一番無防備ですからね。
その無防備な姿をとっても愛おしそうに撮っている。それが彼の優しさを感じさせてくれます。老人が多かったかな。「おじいさん、お元気で」と語りかけてるみたい。老人問題を訴える、みたいな感じじゃなかった。
舞台になっていた街はヨーロッパ各国、国内だと彼の母方の実家のあった京都、当然のことながら吉祥寺。そして、ツアーで回った街々と沖縄。渡さんが好んで歌っていた詩人、山之口獏さんの出身も沖縄でした。
風景と人。人という意味でこれも当然のことながらミュージシャンの写真。どれも貴重ですよ。はっぴいえんどや遠藤賢司さん、加川良さん、友部正人さん、中川五郎さん、陽水さん、泉谷さん、西岡恭蔵さん、なぎら健壱さんとか、他にもたくさん。
さながら70年代初期フォークシンガー勢ぞろい。それもみんな自然体。はっぴいえんどの4人があんなに穏やかに笑っている写真は初めて見ました。高田渡という人がどんなに愛されていたかを物語ってました。
一週目は印象的だった写真にまつわりそうな渡さんの曲と漣さんの思い出話。もう一週は、渡さんの曲を歌ったカバーアルバム「コーヒーブルース」の特集です。昨日、一昨日と高田渡漬けでしたからね。無事終わってホッとしました。
参考になる本が色々あるんです。渡さんのエッセイ集「バーボンストリート・ブルース」、17歳の時の日記「マイ・フレンド」、色んな人が寄稿している「高田渡読本」、門間雄介さんの「細野晴臣と彼らの時代」。それとなぎらさんの本。
斜め読みの首っ引き。アルバムも7枚かな。拾い聞き。台本、時間かかりました。こんなに時間かけて台本を書いているラジオ番組はこの番組くらいでしょう。でも、そうしないと自分で不安になったりするんです。残り三週もそうなりますね。
というわけで、高田渡さん。二十歳の時のアルバム「汽車が田舎を通るそのとき」のタイトル曲。自分の生い立ちを語ってます。じゃ、おやすみなさい。