ちあきなおみさんですね。たまたま見たテレビ番組で名前をみつけて見てしまいました。曲は単体で知っているという感じで、こんなにじっくりと見たことはなかったんじゃないでしょうか。何でだろうな。分かった気になっていたのかもしれませんね。
引退してすでに30年近く。でも評価は高まるばかり。「伝説の歌姫」と化してますよね。なぜそうなっているのかが納得する。そんな番組でした。TBSのBSですね。テレビ局にしか残ってない、まさに秘蔵映像。面白かったです。
接点、なかったですよねえ。デビュー69年。藤圭子さんと同じ。「喝采」が72年。「結婚しようよ」と同じ。ドラマチックな歌謡曲、という印象もありましたし、歌のうまい人だなあとは思ってましたけど、やっぱり「歌謡曲」として見てたんでしょう。
だからみゆきさんが77年に「ルージュ」を提供した時も、みゆきさんの側でしか見てなかった感じですし。やっぱり70年代の「あっち側・こっち側」という対立構造の中で、ちゃんと見えていなかった例になるんでしょう。
TBSで淡谷のり子さんをモチーフにしたドラマに主演した時の映像とかを流してました。淡谷のり子さんの「ブルース」を歌うちあきなおみ。良かったんですよ。ああいう抑えた歌を歌う人が今いないせいもありますね。
あ、みゆきさん、と思ったのは、アニマルズの「朝日のあたる家」を歌っていた時ですね。ちあきさんがみゆきさんを意識していた、と言った方がいいのかもしれませねんが、共通してるものがありました。
それは「微笑」ですね。かすかに微笑んだように沈んだ歌を歌う。重く歌わない。「ルージュ」は70年代ですし、二人の歌の表情も違うように思たんですが、晩年、というのか。ちあきさんの、ですよ。重なるんだなあと思いました。
昨日のAdoさんの話の流れでいえば「低い声」ですね。「低くて優しくて柔らかい」、そして「温度感」がある。「低音のふくよかさ」。歌い切らない。余白がある。そこにドラマを感じさせる。そういうことか、と思ってしまいました。
そういう時代が来るのかもしれないなと。Adoの登場はそんな流れを加速させるのかもしれませんね。Adoがちあきなおみを歌ったらどうなるんだろう、とか思ったり。妄想ですけど。というわけで、ちあきなおみさん、「黄昏のビギン」を。じゃ、おやすみなさい。