すごいですよねえ。爆発的。Adoというこの春に高校を卒業したばかりの女の子が歌っていて、あっという間に再生回数が一億回を超えたという勢い。今年前半の最大の話題曲になると言っていいでしょうね。
彼女の魅力について原稿を書いてほしい、という依頼があって他の曲も聞いてみました。高校生とは思えない歌唱力、といいますか、歌の表情、力強さ。何よりも「悪」を歌える、というのが魅力じゃないか、と思ったんですよ。
「悪」というと変かな。「業」「怒気」と言ってもいいか。ポップミュージックの多くは「善」をどう歌うかでしょう。きれいに歌う。感動的に、というのは、そういうカタルシスのことでもあるでしょうし。
彼女の歌の中には、そういう「綺麗」を拒否するエネルギーがある。「ぶちまける」カタルシスというのかな。世の中には何が言いたいかわからないまだろっこしい言い方が氾濫してますし、そういう「曖昧」を否定する強さがある。
今、女性歌手のほとんどのキーが高い。アイドルはほぼ全員そうだと言っていいでしょう。あいみょんの歌の説得力は、彼女が低い声で歌えるからでもあると思ってるんですが、Adoは、そこに「エキセントリック」という要素を持ち込んでる。
そういう声や歌い方の特徴と「うっせーわ」というあの言葉が見事に一致した。あの曲を初めて聞いた時、青森の「ねぶた祭」を思い浮かべたんですよ。”らっせーらっせー らっせーら”だったかな。あの合いの手の気持ちよさ。
お祭りごとみたいに発散できる。一回聞いたら忘れない。それでいて、あの一節だけじゃない裏付けがある。色んな要素が一体になって歌全体の力になっている。ヒットして当然、のような一曲でしょう。
”つまらない大人にはなりたくない”と歌ったのは佐野さんの「ガラスのジェネレーション」。”大人になりたくない””大人は嫌いだ”というのは、ポップスの永遠命題でもあるわけですが、そういう文脈にはまり過ぎるくらいはまってます。
彼女は顔を出していません。声は聴けども顔は知らない。「深夜放送」の人気DJみたいな感じもする。テレビで歌ってヒットするというのとも全く違う。歌の届き方、声の届き方の一番まっとうな例という言い方もできます。
面白い人が出てきたなあ、という感じなんですが、どんな風に広がってゆくんでしょうか。これもコロナ禍が生んだ、ということになるのかもしれません。というわけで、Adoさんで「うっせーわ」を。じゃ、おやすみなさい。