瀬尾さん、もちろん瀬尾一三さん。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」、今月の特集「中島みゆき」で4週間出演していただいてます。みゆきさんのセレクションアルバム「ここにいるよ」の全曲紹介。来週が最終週です。
で、今日も瀬尾さんの取材がありました。ラジオではなくてスタジオ・ジブリの「熱風」での連載「風街とデラシネ・作詞家 松本隆の50年」のためです。テーマが「あのねのね」。すごいでしょ。
瀬尾一三・松本隆・あのねのね。どういう関係なんだと思われる方の方が多いかもしれません。実は、去年の年末に「松本隆50周年全曲リスト」というサイトがオープンしたんです。2000曲以上の曲が並んでます。
連載を始める時に、そういうリストを探したんですけど、見つからなかったんで、自分で手探りで始めたんでやはり抜けていた、見落としていたアルバムがあったりするんです。その中の一枚が「あのねのね」だった。
思わず目を疑いました。「え、これ、何」という感じ。76年に出た「共鳴・あのねのね 世界へ ナッシュビルからの出発」というアルバムでありました。全曲の作詞が松本さん、作曲は加藤和彦さん、編曲が瀬尾さんでありました。
知らなかった、というか、もう忘れていた、というか。去年、京都で松本さんにお会いした時に、「どんなアルバムだったんですか」って訊いたら「瀬尾ちゃんも一緒に行ったんだよ」というナッシュビル録音でありました。
加藤さんはなくなってしまいましたし、あのねのねは、全くお付き合いがない。瀬尾さんに訊くしかない、ということで無理やりお願いしました。加藤さんから「ナッシュビル、行かない?」という誘いがあって行った、んだそうです。
それまであのねのねとは全くお付き合いもなかった。瀬尾さんにとっては初の海外レコーデイングだった。思いがけない話がいろいろありました。松本さんとの関係も聞けましたからね。
瀬尾さんのアマチャア時代のグループ、愚がURCでのレコーデイングで東京に来た時にはっぴえんどの4人がスタジオに来ていたとか。岡田奈々のアルバムで作曲で加わったとか。70年代だなあ、という微笑ましい話が聞けました。
あのねのねの「共鳴・世界へ ナッシュビルからの出発」は、CDにもなってない。ネットの中古盤も出てこない。僕も音はまだ聞けてない。原稿までに何とか探さないとと思ってるのですが、どうなるか。
こんなに情報が氾濫して、再発が多いのに陽の目があたってない。その3人が関わっているということだけでも意味がありそうだと思うのですが。お会いしたのが三軒茶屋の喫茶店。感じのいいお店でした。
終わってから久々にスタバにも寄ったんですが、若い人が多くて逃げ腰でした。当分、スタバはダメそうです。明日は、「MUSIC TIMELINE」の二本録りと小坂忠さんのライブ。出かけるのは緊張感あります。
午前中、バイデン大統領就任式イベント。僕らの知っているアメリカだなあ、と。ほっとした感じでした。というわけで、あのねのねのそのアルバムから「人間な何て悲しいんだろう」を。じゃ、おやすみなさい。