というトークイベントがありました。トークセッションと言ったほうがいいかな。2月に発売になる本「KYOSUKE HIMURO since 1988」の予約特典。蔦屋書店で予約された方がご覧になれるというものですね。
収録したのは去年。「2020年の仕事が終わりました」と書いた二日後かな。終わってないじゃん、ということかもしれませんが、仕事という感じは全くなかったですからね。丸々90分。曲も何も入れずに話しっぱなし。濃密でした。
松井五郎さんは、作詞家として約3200曲という作品を残している大御所。デビューが81年かな。Chage&Askaが最初だったと思います。80年代以降でそれだけですからね。70年代から活動している松本隆さんに匹敵する曲数じゃないでしょうか。
氷室さんとは、最初は85年のBOO/WYのアルバム「BOOWY」の時ですね。あのアルバムで「DREAMIN’」「黒のラプソデイー」「ハイウエイに乗る前に」で共作してますね。彼は長渕さんも書いていて、ユイ音楽工房とは関係が深かったからですね。
「DREAMIN’」は布袋さんとの共作ですけど、彼とは会ってません、と言ってましたね。氷室さんとはシングルの「ALISON」から。何といってもアルバム「NEO FASCIO」でしょう。それ以来、以心伝心の関係。説明不要ですね。
氷室さんとコンビの曲は75曲と言ってましたね。3200分の75ですから、多いと言えば多いし、かといって一番多いわけでもない。でも、唯一無二の関係だということは話の端々に伺えました。
それは、「KYOSUKE HIMURO since 1988」に収録されている氷室さんのインタビューでもよくわかります。そんな話も織り交ぜながら、彼がメインで関わったアルバムについての話を聞いていきました。
「作詞」を依頼される、というだけに留まらない信頼関係がどうやって築かれたのか。どういうやりとりをしているのか。時にはアルバムの中の曲の一説を取り出して話が展開していったり、実に面白かったです。
松井さんは1957年生まれ。氷室さんは1960年生まれ。作詞家になる前に組んでいたバンドでは同じ年にヤマハのコンテストに出たこともあるという同時代ならではの音楽観や人生観。あそこまで突っ込んだ話はどこにも出てないと思います。
特典映像というのは、だいたいがほぼ「おまけ」という代物が多いようにも思いますが、全然そうじゃないです。ガチンコセッション。時間が長すぎて多少、編集はされつると思いますが、お楽しみにしていてください。後、2か月です。
というわけで、去年の話はここまでかな。2021年に向かっていこうと思います。緊急事態宣言、微妙ですよねえ。もちろん感染拡大も食い止めたい。でも、ここで緊急事態宣言が出たら、ようやく見えてきた光も閉ざされるでしょう。
客席半分、マスク着用、歓声も歌声も禁止。それでもライブは行えるという微かな可能性が無駄になってしまう。またしてもコンサートの不要不急論が繰り返されるんでしょうか。祈るような思いの年明けです。
というわけで、曲ですね。松井さんがいたからこそ生まれた曲、96年のアルバム「MISSING PIECE」のタイトル曲を。じゃ、おやすみなさい。