立て続けの訃報ですね。なかにし礼さん。82歳。筒美京平さんは80歳。同世代と言っていいでしょう。同時代でもありました。ともにGSの出身。それまではレコード会社の専属でしか仕事が出来なかった時代にフリーで活躍するようになった二人です。
筒美さんは一度インタビューしたことがありましたけど、礼さんはありませんでした。彼は「セイ!ヤング」のDJをしていたことがあって、僕は「ザ・ヴィレッジ」という機関紙を作ってたんですが、お話しする機会はなかったです。
なかった、というより作ろうとしなかったのかな。理由は簡単です。”あっち側・こっち側”だった。礼さんは、もう押しも押されぬ「あっち側」の大巨匠。なかにしさんと阿久悠さんね。筒美さんももちろんそうでした。
ほんとは彼が詞を書いた曲で好きな曲はたくさんあったんですけどね。テンプターズの「エメラルドの伝説」とか弘田三枝子さんの「人形の家」とか、アン・ルイスの「グッバイ・マイ・ラブ」とか。ともかくいっぱいあります。
黛ジュン「恋のハレルヤ」「天使の誘惑」「夕月」、島倉千代子「愛のさざなみ」、浅丘雪路「雨がやんだら」、北原ミレイ「石狩挽歌」、由紀さおり「手紙」、ペドロ&カプリシャス「別れの朝」、、、。きりがない。全部歌えます。
女性の歌が多かったのは、ラブソングの達人だったからでしょうね。元シャンソンの訳詞をしていた現れ。岩谷時子さんの後輩と言っていいかもしれません。でも、僕はシンガーソングライターの側、”こっち側”でしたからね。
そういう時代だった。筒美さんもそうです。どこか敵視していた。失礼なことです。でも、そうだったんですよ。礼さんが引揚者で戦争体験が歌になっていると知ったのはこの10数年前。その時はもう僕らの出る幕じゃありませんでした。
色んな人がなくなった年です。個人的にはNACK5のデイレクターの今野さんや元拓郎さんの事務所の宇田川さん、オフクロもありました。そして、筒美さんになかにし礼さん。マモル・マヌーさんやルイズルイス加部さんもありましたね。
追悼の間もない。礼さんも京平さんもいつもの年なら大々的に追悼されるんでしょうけど、今年はそれもままならない。何という年の瀬なんでしょうか。最近、故人のことを考えることが多い。寂しい年の瀬です。
というわけで、一度もお会いできませんでしたが、ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。曲ですね。さっき上げた中で一番好きな曲かな。黛ジュンさん「恋のハレルヤ」を、じゃ、おやすみなさい。