12月8日、ジョン・レノンの命日。40周年。なくなったのも40歳。70年代に「ジョンレノンが死んだ40歳」というのが一つの基準だったことが嘘のように時間が経ちました。僕らにとってもそういう基準が遠い昔のように思えます。
以前は、「ジョン・レノン音楽祭」というライブもありましたけど、なくなってしまいましたからね。でも、語り継ぐことは次の世代に受け継がれているようです。今年は、ビートルズ研究家の藤本国彦さんの「ジョン・レノン伝」(毎日新聞社)が出ました。
藤本さんは元「CDジャーナル」の編集者。去年かな、「GET BACK NAKED」(青土社)という本も出てます。僕が「ビートルズが教えてくれた」を出した時にトークイベントをやったことがあります。人生をビートルズに捧げたような人ですね。
「GET BACK NAKED」は「週間読書人」というところから頼まれて書評を書いたんですけど、今回は「ザ・ブルーハーツ・ドブネズミの伝説」(河出書房新社)という本についての書評を依頼されました。で、今日、一気に読みました。
書いたのは、陣野俊史さんという方。立教大学の先生もされている文芸批評家、フランス文学研究者。研究者ですからね、お会いしたことはありません。でも、そういう立場の方じゃないと書けない本ではありました。
音楽の本がどんどん少なくなってます。本屋さんに行く度に「音楽本」のコーナーが縮小されている気がして切なくなります。理由は簡単ですね。出してくれる出版社が少なくなってる。書こうという人はいるんだと思うんです。でも、出せない。
そういう編集者がいない。売れないと思うんでしょうね。結局、インタビューに頼る形になる。それが聞き手にとっての「正解」になってしまう。聞き手がそれ以外の意見や解釈を受け付けなくなる。悪循環になってますよね。音楽に「正解」なんてないのに。
「ザ・ブルーハーツ ドブネズミの伝説」は、そういう意味では異例、ということかもしれませんね。陣野さんという方はこれまでブルーハーツについて書いたことはないし、インタビューしたこともない。そういう人に編集者が「書きませんか」と提案しているんです。
過剰な思い入れや先入観、強引に自分のフィールドにこじつけいる感じもない。でも、なぜ今、ブルーハーツなのか、という視点が一貫している。文芸の方ですから、日本や海外の作家の話も出てくるんですが、ひとりよがりになっている感じがありません。
「詩」だけを取り上げてるんですね。「詩」を読む、どう解釈するかを書いている。僕がが知らなかったことが多いせいもあるでしょうけど、好感が持てました。なにしろ、入り口がカミユの書いた「ペスト」の中の”ネズミ”と「リンダリンダ」の”ドブネズミ”の比較ですからね。
こういう状況で彼らの「詩」をどう聞くか。2020年だから、という本でもありました。1985年から1995年までの10年間の活動を世の中の出来事と重ね合わせてあります。そして、あまり語られることのない解散にも踏み込んでますね。
ジョン・レノンと並べたのは、今日が命日だったということもありますけど、最後の解散の話がジョンとの関連の中で書いてあったんです。ジョンレノンが「ゴッド」という曲で僕は神を信じない。僕はビートルズを信じない、と歌ったことが引用されてました。
ブルーハーツを解散した時のことへの「推測」。そういう「音楽を推理する面白さ」という意味でもいい本でした。ブルーハーツとジョン・レノンが歌ってきたことの共通性みたいなものも感じましたし。
音楽はもっと語られるべきだと、今も思ってます。僕みたいに業界ずれしている人間には書けない本です。掲載されている「詩」には僕も好きな曲が多かったです。その中の曲、ザ・ブルーハーツで「TOO MUCH PAIN」を。じゃ、おやすみなさい。