毎日、書こうとしている時代があっちへ行ったり、こっちへ行ったり。その日の気分で変わりますね。8月の終わりにタイガースの岸部シローさんがなくなって、9月に入ってゴールデンカップスのマモル・マヌーさんがなくなりました。
お二人ともお会いしたことはないんですが、やっぱり寂しいものはありますね。こうやって色んな方がなくなっていくんだなあ、という感じ。あ、藤木孝さんもそうでしたね。一番古いのは藤木孝さんか。彼は80代でした。
仕方ないことですが、肩書は”俳優”でしたね。そうでしょうねえ。藤木さんが歌っていたのはほんの数年。ロカビリーからカバーポップスになる頃。僕らもテレビでしか知りませんでしたし、曲も「24000のキッス」くらい。
でも、インパクトはあったんですよ。全身を痙攣させるみたいに熱っぽく迫ってくる。コミカルと紙一重、みたいな感じ。異色でした。誤解を承知で言えば、デビュー当時の桑田さんもそういう目で見られてましたよね。
ただ、ロカビリー出身の人たちは、自分で曲を書いたりしてませんし、音楽に対しての環境が整ってませんから、売れなくなったら俳優になるしかない。個性は十分にありますからね。ショーケンもそうか。
と書いてから、昨日か、守屋浩さんもなくなりました。あの人もロカビリー出身。三人ヒロシだった時代がありました。でも、藤木さんに比べると「僕は泣いちっち」とか「ありがたや節」とかヒット曲がありましたからね。
こうやって書いてると岸部シローさんとマモル・マヌーさんは若かった、ことになりますね。ロカビリー世代の後がGSになるわけですから。でも、岸部さんも俳優になってたし、マモル・マヌーさんは実業家でしょ。
音楽では生計が立てられなかった。今、頑張っている人たちはGS以後に音楽に進んだ人たち。団塊の世代の人たちですね。GSも支えたのは団塊の世代だったわけですが、音楽自体が未熟だった。ブームが消滅するのもあっという間でしたもんね。
GSに行った人たちとその後のフォークに向かった人たち。生き方も分かれました。それぞれの人生ですから、比較してもしょうがないですが、みんな最終章に差し掛かっていることは間違いないわけです。
そうやって次々となくなっていくと、やっぱり、どっか気が抜けていくみたいな感じもしますね。どんどん淡泊になっていくというんでしょうか。小田さんが20日の誕生日に「74や75になって、というのは考えられない」みたいなコメントを出してましたね。
そうなんでしょうねえ。よし、いくつになっても頑張る、というような気持ちになれないというのが正直なところなんでしょう。おまけにコロナですからね。どうやって自分の気持ちを支えていくか。
それは、一重にファンの方達の励まし、というか、期待に尽きるんじゃないかと思いますよ。もういいかな、という気持ちとまだ止めるわけにはいかない、という気持ちのバランス。あなたの熱意にかかってます、って誰に言ってるんだ(笑)。
全然、タイガースの話にもカップスの話にもなりませんでしたね。「LEGEND FORUM」で「GS伝説」やろうかな。という気持ちと、もういいかな、という気持ちで揺れ動いている、そんな2020年の秋です(笑)。
明日は、「MUSIC TIMELINE」の収録。もうさよならアロハ、です。曲ですね。カップスで一番好きだった曲、何だろう。「愛する君に」かな。作詞、なかにし礼さん、作曲、鈴木邦彦さんです。じゃ、おやすみなさい。