こういうことは結構あるんです。その時は勢いで書いてしまったことに後になって反省したり悔んだり。我ながら浅はかだったなあ、と思わされたりすること。昨日もやってしまいましたね。
何のことかお分かりになりませんよね。昨日、配信ライブはライブと思えない、とか粋がって書いてしまったわけですが、そうじゃありませんね。そんな偉そうなことを言ってはいけません。何をカッコつけてるんだ、という感じ。
何でそう思ったか。「MUSIC TIMELINE」のゲストに小室さんに来ていただく、という話は昨日書きました。で、今日、色々話を伺いました。その最後に、この状況をどうお感じになってますか、という質問をしたわけです。
小室さんは、「配信に新しい可能性を感じてる」という話をされたわけです。失礼ながら、小室さんと「配信」という言葉がすぐには結び付かなかったんですね。どういうことか、という話を聞きながら、はっと気づかされました。
小室さんは「来られない人のためのライブ」と言われたんですね。つまり「来られない人」という人達のリアリテイが違って聞こえた。仕事がどうとか、家庭の事情でライブに行けない、ということだけじゃない。
お年を召していてライブに行けない。例えば、足腰が弱ってしまったとか、病気の後遺症で車いす生活を余儀なくされているとか、もっと言ってしまえば、介護施設にお世話になっているとか、そういう方にライブを見てもらえる、と言われたんです。
昨日、自分が書いたことが恥ずかしくなりました。僕は「行ける」ということが前提になっていた。ライブはそういう人だけのために行われるわけじゃありません。ましてや、そういう年齢になってます。もうすぐそうなります。その時にどうするのか。
若いバンドやアーテイストには、そういう発想はなかなか出てこないんじゃないでしょうか。だから「配信」は「代替」という扱いになってくる。小室さんの中には「行かれない」という人が前提になっている。
そういう人たちにとって「配信」はほんとにありがたいんだ、というわけです。頭が下がりました。そうだよなあ、と。オフクロがお世話になっていたような施設にいらっしゃる方でもライブ会場と繋がれる。こんなに素晴らしいことがあるか、と思ったわけです。
で、反省、なわけです。削除するのも大人げないし、そういう思いあがった自分もいるんだ、というのは隠してもしょうがないし。「配信」、新しい可能性、あります。ライブ会場だけがすべてじゃありません。
僕もそのうちそうなるでしょうしね。そうなっても引退しなくてもいい、というようにも思えるわけで。年長者とはお話しするもんです。というわけで、今日も一日が終わります。まだまだ暑いです。これからどっと夏の疲れが出てきますからね。
曲ですね。小室さんの最高傑作と言っていいかもしれません。「いま生きているということ」。介護施設でライブ配信を楽しむということ。それも「いま生きているということ」以外の何物でもありません。じゃ、おやすみなさい。